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3167. 猟奇的な上昇志向


時刻は午後の七時半に近づきつつある。午後から降り始めた雨が今は止み、穏やかな世界が広がっている。

今日も探究活動と創造活動に十分に励むことができ、明日からの新たな週をまたより充実した形で過ごせるような予感がある。来週の木曜日には、いよいよ五年振りにボストンを訪れることになる。

月曜日から水曜日にかけても、今日と同じような形で、自分のライフワークを少しずつ前に進めていこうと思う。今のところまだ博士課程に進学するかは未定なのだが、仮に博士課程に進学し、博士論文を執筆する際には、芸術教育の意義や価値について歴史的に考察していく予定であることは先日の日記で述べた。

本日ハーバーマスの書籍を読みながら閃いたのは、芸術教育が現代の教育において抑圧されている背景には、何かしらの力学があり、それは歴史的な発展を遂げてきたのではないかという考えだった。この点について是非とも深く知りたい。

芸術教育の意義や価値についていかに哲学的に論述したとしても、そもそもそうした意義や価値を抑圧する力学を解明していかなければ、これからの芸術教育のあり方は見えてこないだろう。

今日も相変わらず雑多なことを考えていた。一つは、人類は絶えず発達し続けているというユートピア思想についてだ。確かに私たちは絶えず進化の方向に歩みを進めているのかもしれないが、問題は短絡的な上昇志向が蔓延していることだろう。

人類が絶えず発達を遂げ続けているという発想の危険性は、例えば日本の不動産が上がり続けるという神話を信じ続けていた人が過去に経験したことや、今から少し前に起こった金融危機などを見ていると強く実感することだ。

誰もが上がり続けると思っていたものが突如崩壊するという事態を私たちは歴史を通じてたびたび目撃しているはずだ。人間の発達はそもそも、常に上昇し続けているものでは決してなく、停滞や退行を繰り返していることはすでに発達科学の研究によって明らかになっているにもかかわらず、私たちは人間が絶えず発達を遂げていくと盲信する傾向にある。

上記で述べたように、仮に発達の方向性はあったとしても、人間の発達を信じることがもはや意味をなさないほどの生存的な危機に今後直面することは十分に考えられる。人間の中に潜む、現象が絶えず上昇するということを信じさせるエロスの力はあまりにも巨大すぎる。そのように考えると、現代は下降の道を忘れ、アガペーを見出しにくい時代なのかもしれない。

今日は就寝までの時間を使って、まずは本日三回目の作曲実践を行う。これから飯を求めるのはモーツァルトだ。

モーツァルトの変奏曲を参考にした後は、時間があればさらに読書を進め、就寝一時間前あたりから過去の日記の編集を行おうと思う。フローニンゲン:2018/9/23(日)19:38

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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