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3158. 光で満たされた海:覚めぬ夢


土曜日の朝を迎えた。今日は六時半に起床し、七時から一日の活動を開始させた。今日も探究活動と創造活動を充実させていきたいと思う。

昨日まで存在していた雨雲はどこかに消え去り、今は少しばかり雲はあるが、穏やかな空が広がっている。風はほとんど吹いておらず、それがまた静かな空間を生み出すことを後押ししている。

秋は自分が生まれた季節であるせいもあってか、どこか自分に跳躍をもたらすように思える。今年の秋は何かしらの発達上の跳躍が起こるかもしれないという予感がここ最近あり、それは来年以降の自分の人生を大きく方向付けていくものになるのではないかと思う。

昨夜は雨雲も手伝って、非常に濃い闇夜が広がっていた。しかし昨夜体験した不思議なことは、光で満たされた海に飛び込み、その中を泳いでいるような感覚がしたことである。

その感覚をもとに一つ曲を作った。とても明るい曲が出来上がったように思う。

自分の内的感覚を言葉として表現するだけではなく、音楽として表現することがどれだけ有意義なことかを実感している。一つの感覚を様々な表現手段をもとにして表現していくことを繰り返すたびに、内的感覚そのものが豊かなものになっているのを感じる。

やはり、内側の感覚というのは表現されることによって、新たな創造運動を生み出していくのだろう。今日も内的感覚を豊かにしていく一日になる。

ふと書斎の窓から外を見上げると、薄赤紫色の美しい空が広がっていることに気づいた。この色彩は夕日が現れる際に見られるものであり、朝に見られるのは珍しい。

以前言及していたように、それはどこかモネの色使いを思い起こさせるような光景である。薄い青空の上に白い雲が少しばかりかかっており、それに柔らかな朝日が反射することによって、雲が薄赤紫色に色づいている。今はそうした朝の美しい空をぼんやりと眺めている。

闇夜が明け、新たな一日の初めにこうした光景を目の当たりにできることを嬉しく思う。そういえば、今朝方は夢を見ていた。

感覚的には印象に残っているのだが、それを言葉の形にすることは難しい。TOEFLのような英語の試験を受ける夢であり、友人もその試験を受けることになっており、彼の試験勉強を手伝っているような夢だった。

こうした夢を見ながらも、夢を見ない意識の中で一体何が起こっているのかに関心を持つ。それは闇夜の儀式にも似た秘教的なことでありながらも、それについて知る方法はいろいろとある。

ドリームヨガというのはまさにそうした方法の一つだろう。夢を見ない意識を通過し、再び夢を見て、今は覚醒した意識の状態にある。

しかしここでも、「自分は目覚めている」という夢を見ていたとしたらどうだろうか?ということに考えが及ぶ。現代社会で厄介なのは、「自分は目覚めている」という夢を見るところまではいかないが、目覚めた状態の中で夢を見させられていることにあるのではないかと思う。

しかもその夢は、ほとんどの人にとっては覚めることのない永続性のあるものである。引き続き、現代社会の夢の内容、夢が生まれる要因と構造、夢からの脱却について考えを深めていく必要がある。

「夢を持ちましょう」という一見すると聞こえのいい言葉も、それもまた幻想的な夢の世界に人々を閉じ込めることに働きがちであるから厄介だ。人々を夢の世界に縛り付ける具体的な事例は枚挙にいとまがない。フローニンゲン:2018/9/22(土)07:23

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

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