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3143. 文献との向き合い方の再考


もうしばらくすると昼食の時間となる。午前中は、大変心地良い風がフローニンゲンの町を流れていた。

確かにそこには肌寒さがあるのだが、生命を躍動させるような力も同時に感じる。今もそうした風が優しく吹いている。

今日の空は快晴であり、愛らしい美しさを持つ草花が生い茂っているかのような空が広がっている。一つの花を摘ませてもらい、それを携えて今日一日を充実したものにしていきたいという思いを早朝に持った。

探究活動や創造活動に従事している合間や、その一区切りとしてふと窓の外を眺めると、素晴らしい風景が広がっていることを改めて有り難く思う。空を見ていて飽きることはないし、風に揺られる街路樹を見ていても飽きることはない。

そこに小鳥などの小動物がやってくれば、なおさら見飽きることはない。そのようなことを考えていると、昨日の夕日がとても美しかったことを改めて思い出した。

それは讃歌を歌っているかのような夕日であった。もしかしたら今日もまた昨日のような夕日を拝むことができるかもしれない。フローニンゲンの夕暮れ時の楽しみは、その美しい夕日を見ることにある。

今朝はハイドンに範を求めて一曲ほど曲を作った。昼食後に仮眠を取った後には、テレマンに範を求めようと思う。

テレマンの曲のメロディーに面白さと共感の念を絶えず持っており、テレマンの曲を参考にするのは毎回喜びをもたらす。明日は久しぶりにサティに範を求めてみようと思う。

午前中には、“The End of the Museum (1985)”と“Arts in Education and Society Today: An Overview (2011)”の二つの論文を読み終えた。本来であれば、論文を一つ読むたびごとに自分の考えを書き留めておくのが良いかもしれないと改めて思う。

私は、一つの論文を読み終えると、そのままの勢いで次の論文へと次々移っていく傾向があるが、これは下手をすると、論文の単なる消費になりかねないため注意が必要である。せっかく一つの論文を読むのであるから、できる限りの学びをそこから得て、自らの血肉にしていきたいと思う。

そのためには、消費型の読書をするのではなく、論文を読むたびごとに立ち止まり、自分の考えを文章で書き留めておくことが有益だろう。論文にせよ、書籍にせよ、それを読んでいる最中はマインドフルネスの状態となり、読了後もマインドフルネスの状態のまま文章を書くことが大切だ。

書籍においては、印象に残っている事柄を一章ごとに書き留めておくと良いかもしれない。論文や書籍との向き合い方についてはここ数年何度も考えさせられることがあったが、ここでまた改めてそれについて考えることは意味があるだろう。

文献から得られた知見をいかに自分の思想の形成に役立てていくか。それを実現させていくためには、やはり読むたびごとに何かしらの文章を書き留めておくことがカギになるだろう。

文章を書くことによって知識を定着させ、また文章を書くことによって新たな課題を見つけていく。自分に問いかけながら文章を書き、その問いが開く新たな問いに向かっていくこと。

そうしたことを心がけながらこれからの読書を行いたい。フローニンゲン:2018/9/19(水)11:53

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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