今朝は六時過ぎに起床し、六時半頃から一日の活動を開始した。もうこの時期になると、起床時はまだ闇に包まれたままである。七時を過ぎてからようやく朝日が昇り始めるようになった。季節の進行を確かに感じる。
秋が徐々に深まり始めているが、昨日と同様に、今日も比較的暖かい気温となる。その証拠に、今日の最高気温は24度まで上がるそうだ。
昨日は、久しぶりにフローニンゲン大学のキャンパスに立ち寄り、読みたい論文を印刷した。今月末から来月の初旬にかけて、ハーバード大学教育大学院(HGSE)に訪れ、二つのクラスを聴講できることになった。
二つのクラスを受け持つ教授にお願いをして、事前にシラバスを送ってもらい、当日のクラスの課題論文を昨日印刷した。今日からそれらの論文に一度目を通し、クラスのある前日にまた読み返すことをしたいと思う。
ボストンに到着した次の日に参加するクラスは、スティーブ・サイデル教授の「芸術教育:哲学的領域と内省的実践」というコースのクラスだ。サイデル教授は、HGSEの中でも私が最も関心を寄せている芸術教育に関するプログラムのディレクターを務めており、今回彼のクラスに参加することができて嬉しく思う。
シラバスを確認すると、当日のクラスの大きなトピックは、普遍的な権利から芸術教育を考察していくことにあるらしい。必読文献の中には、ユニセフが発行している人権に関する資料などもあり、人間の権利の観点から芸術教育を考えていくというのは面白いトピックだと思った。
当日のクラスで課題となっている論文は“Arts in Education and Society Today: An Overview (2011)”というものであり、この論文はアジアの芸術教育について論じている。本格的にこの論文を読み始めるのは今日からだが、昨日は印刷ついでに中身をパラパラと確認していたところ、アジア人である自分にとって非常に興味深い内容であり、当日のクラスの中でいろいろと発言する役割を担うことができるように思った。
論文を読みながら、自分の考えを余白に書き込んでいくことを行い、当日のクラスに向けた準備をしていきたい。
芸術教育に関するプログラムを提供している大学院はいくつもあるが、その中でもHGSEに注目しているのは、教育哲学者のキャサリン・エルギン教授がそこにいることにあると言っても過言ではない。エルギン教授は、私が最も敬意を払っている同年代の哲学者ザカリー・スタインの博士論文アドバイザーを務めていた方であり、専門は認識論と教育哲学である。
エルギン教授は秋学期に、「教育哲学」と「芸術と認識」という二つのコースを提供しており、今回は有り難いことに後者のクラスに参加することになった。どちらのコースも少人数のゼミナール形式で行なわれているらしく、少人数での授業を好む私にとっては非常に嬉しく思う。
当日のクラスに向けて、エルギン教授の協働者でもあった哲学者ネルソン・グッドマンの“The End of the Museum (1985)”が課題論文に挙がっている。エルギン教授からの影響もあり、最近はグッドマンの仕事に注目をしていたところだったので、この論文を読むことは非常に楽しみだ。
また、「美術館の終焉」というタイトルが示すように、欧州で様々な美術館を巡る中で醸成された自分の問題意識と相通じるような内容がこの論文の中に書かれているような気がするため、今日はまずこの論文を優先的に読み進めていこうと思う。
気づけば、ボストンに訪れる日がどんどんと近づいてきた。五年振りのボストン訪問が非常に楽しみだ。フローニンゲン:2018/9/19(水)07:11
No.1317: In the End of A Certain Saturday
When I realized it, today was approaching the end.
Having hope toward tomorrow, I’ll go to bed later. Groningen, 20:32, Saturday, 10/13/2018