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3137. 夕方の絶景


昨日の夕方、息をのむほどの美しさを持つ夕日を見た。ちょうど先日も同様に美しい夕日を見たのだが、昨日の夕日は異なる美しさを放っていた。

フローニンゲンの秋の夕日は本当に美しい。それはオーロラのような美しさを持っている。

その日の空の状態に応じて、夕日の輝きの初期値が異なる。そして、空に存在する無数の変数が時間の経過と共に複雑に相互作用し合い、時の経過に応じて夕日の色が刻一刻と変化していく。

昨日もその様子を食い入るように眺めていた。今私が住んでいる家には、書斎の窓ガラスは横に大きく開放的であり、食卓には縦に長い窓ガラスがある。

これまでの二年間は、食卓の二枚の窓ガラスのうち、上の方のガラスのブラインドを閉めたままにしていることに昨日ようやく気付いた。これを開ければもっと夕日が見えるようになるだろうと思い、それを開けることにした。

それが功を奏し、食卓からも夕日がより一層見えるようになった。オーロラのような夕日を眺めていると、飛行機雲も白い輝きを放っているように見えた。それはまるで、魂の昇天のように美しく輝いていた。

オーロラのような夕日を眺めた昨日から一夜が明け、今は早朝の空に澄み渡る景色が広がっている。まだ朝日が昇っておらず、今は空がライトブルーに見える。

自然には自分の心を捉えて離さないものがある。自然からの恩恵が自らの活動における心棒になっている。

来年の初旬に、オーロラ観測に出かけたいという思いが強くなる。真冬のノルウェーの海から見えるオーロラはさぞかし絶景であろう。

いかなる自然の美も、それを生み出す要因が複雑に絡み合っているがゆえにその場限りの唯一の現象であることは確かだが、そうしたことを差し引いても、私はいつも自然を眺める際には、初めてそれを見るかのような眼を持って自然を眺めていることに気づく。

昨日の夕日に対してもそうだった。オーロラに対してもそうした眼を持って接することになるだろう。

まだ確実に行くと決まったわけではないが、可能であれば、来年の一月の中旬から二月の末までの間にオーロラ観測クルーズに参加したい。再びノルウェーを訪れることになれば、それは一年半ぶりであり、北欧はこれで三回目の訪問となる。

自分がどれだけ自然を愛しているかが明確なものになり始めている。今日も窓の外に広がる景色を眺めながら、自分のライフワークに取り組んでいく。

私の周りにはいつも自然があり、自分の内側にも常に自然がある。それゆえに、自分はこれからもゆっくりと前に進んでいけるだろう。フローニンゲン:2018/9/18(火)07:19 

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