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3133. キャサリン・エルギン教授のクラスに向けて


今日は早朝から晴れ間が広がっており、昼食を摂り終えた今も空は青々としている。午前中には小鳥のさえずりが随分と聞こえ、それは私の心を穏やかなものにしてくれた。

今日も落ち着いた、充実感のある一日となっている。今朝方に、過ぎて行く時の流れを観察してみると、そこには様々な感情や感覚を含め、多様な質感が存在していることに改めて気づかされた。

しかも各々は固有の色や形を持っている。それを曲やデッサンとして表現する試みに従事しているような日々を過ごしている。今日もそうした一日だ。

突如再び探究活動に対する衝動が湧き上がったことについては、数日前の日記に書き留めていたように思う。それは力強い衝動であったのと同時に、砂漠に沸く泉のような透明さも持ち合わせていた。

芸術教育と霊性教育に関する哲学的な探究を進めたいという思いに従って、午前中も読書に勤しんでいた。計画通りに、キャサリン・エルギン教授の書籍を読み終え、ハワード・ガードナー教授の書籍についても数章ほど読み進めることができた。

午後からも引き続き、ガードナー教授の書籍を読み進めていく。昨夜、エルギン教授に一通のメールを送った。

10/1に参加させていただくクラスのトピックを事前に知っておきたいという思いから、エルギン教授にコースシラバスを送ってもらうようにお願いをした。コースシラバスがあれば、そのコースの全体観を掴み、全体の中でその日の授業がどのような位置付けになっているのかを理解することができるため、当日のクラスのディスカッションに加わりやすいと思ったのである。

エルギン教授のそのコースは芸術理解に焦点を当てており、少人数のゼミナール形式でなされる。せっかくクラスに参加させてもらうのだから、できるだけ準備をし、当日は積極的にクラスのディスカッションに加わりたいという思いがあり、昨夜エルギン教授にメールを送った。

昨日は日曜日であるにもかかわらず、当日にメールの返信があり、コースシラバスを送っていただけた。コンテンツを確認すると、やはり私の関心を強く引くものであったことはとても喜ばしかった。

必読文献の中には何冊かまだ読んだことのない書籍があり、それらは近々購入しておきたいと思う。まだHGSEに行くかどうかもわからず、エルギン教授が来年もこのコースを提供しているのかさえわからないが、そうしたこととは関係なしに、自分の探究意欲に基づいてそれらの書籍を読み進めていこうと思う。

それらの書籍はそれぞれ、エルギン教授の主著の一つである“Considered Judgment (1996)”、エルギン教授の芸術教育の哲学に関する論文が収められた“The Oxford Handbook of Philosophy of Education (2012)”、そしてエルギン教授の協働者であったネルソン・グッドマンの“Ways of Worldmaking (1978)”と“Languages of Art (1976)”である。

これらの書籍を通じて、芸術を理解するということは一体どういう意味なのか、芸術教育の意義は何なのかについて考えを深めていこうと思う。当日のクラスの後、エルギン教授の研究室で話をする機会をいただいたため、芸術教育や教育哲学全般についていろいろと質問したいと思う。

質問を通じて、芸術教育の意義に関する哲学的な考察をいかようにして進めていったら良いのかに関する示唆のようなものを得られたらと思う。フローニンゲン:2018/9/17(月)13:02 

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