今朝は六時半に起床し、七時から一日の活動を開始した。ここ最近は七時を過ぎた起床が多く、その要因として、季節の変わり目による心身の調整と、火災報知器の音による睡眠の妨げを挙げていた。
昨日の午後に、ようやく火災報知器の問題が解決し、昨夜はぐっすりと眠れた。確かにこれまでも意識上においてはよく眠れていた感覚があったのだが、寝ている最中にも鳴っていたであろう機械音が睡眠の質を下げていた可能性がある、ということを昨日の日記に書き留めていたように思う。
今日は再び六時半に起床したことを考えると、どうやら本当に火災報知器の音が一つの要因であったかのように思えてくる。いずれにせよ、昨夜から再び高い質の睡眠を取れるようになって嬉しく思う。
昨日と同様に、今朝もかなり冷え込んでいる。昨夜の段階から冷えていたため、正直なところ、九月に入ってまだ二週目であるにもかかわらず、暖房を入れようかと思ったぐらいであった。
暖かい格好をすることによって、暖房を入れることはしなかったが、今日もそうした肌寒さが続く。最高気温は19度であり、今の気温は7度だ。
だが幸いにも今日の天候は、雲一つない晴天のようであり、来週からはまた少し秋の暖かさを感じられるような日に戻るらしい。
今視界に入る空はライトブルーの美しさを持っている。フローニンゲンの日の出の時間は随分と遅くなり、七時を迎える頃になってようやく明るくなり始め、朝日が町に降り注ぐのはもう少し後のように思える。
心の中に安全基地を持つことの大切さについて昨日考えていた。それは自分の心の拠り所であり、休息の場所でもある。さらには、その安全基地が起点となって、私たちの新たな挑戦を後押ししてくれる。
昨夜は特に自分の心の中にある安全基地を強く実感することができ、なんとも言えない安心感の中で眠りについた。こうした安全基地も育てることが可能であり、それは教育によって実現されるだろう。
もちろん、精神療法によってもそれらを治癒・涵養していくことは可能であるが、そもそもそれは健全な発達プロセスを辿っていれば治癒の対象になるようなものではなく、継続的な教育によって育まれていくものであるように思える。
ここのところ私は、諸々の自己教育を意識的に自らに施しているが、そうした自己教育によっても安全基地は育まれていく。芸術教育や霊性教育が持つ一つの意義は、ひょっとすると、私たち一人一人の中にある固有の安全基地を育んでいくことにあるのではないかと思えてくる。
確かに、自らの中に固有の芸術性と固有の霊性があり、それらが自己の魂の拠り所になり得ることを考えると、それらの教育には安全基地を育んでいく可能性がありそうだ。安全基地を育ててくという観点で、それらの教育を探究するのも一つ大切な事柄になるだろう。フローニンゲン:2018/9/13(木)07:18
No.1310: Co-evolution and Co-Degeneration of Polarity
I perceived that polarity is omnipresent and that it co-evolves and co-degenerates. Groningen, 16:36, Thursday, 10/11/2018