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3111. 学び直しに向けて


教育哲学への想いが募れば募るほど、来年からは再び大学院の環境の中で探究活動に精を出したいという思いが強くなる。一方で、大学院に所属しなくても、在野の立場を維持したまま探究を前に進めていくことはできないかと考えてもいる。

これまでの自分を取り巻く状況は、大学院に所属していない時は協働プロジェクトの案件がどうしても増えてしまい、その結果として学術探究を前に進めていくことがなかなか難しかった。今後も社会的に意義のある協働プロジェクトに参画しながらも、一方で、どのようなプロジェクトに参画するかは慎重に吟味する必要があるだろう。

自分の関心に最大限合致し、それでいて社会的に意味のあるプロジェクトに絞って参画することを心に誓う必要がある。そうでなければ、結局数多くのプロジェクトに従事するだけの日々が過ぎていくだけになってしまうだろう。それを何としても避けなければならない。

自分の人生に投げかけられた大きな問い、そして人生が進んでいくに応じて新たに投げかけられていく問いと向き合うことが一番大切だ。そうした問いと向き合う時間、そしてそれらの問いを起点にした探究を深め、探究の成果を社会に還元していくことが何にもまして大切だ。それを行うことが、自分に与えられた役割を全うすることなのだ。

自分がなぜ教育哲学に向かったのかの根本についてはまだわからない。わからないその対象に向かっていく。そして、教育哲学そのものの探究を深めていく。

兎にも角にも、思想的枠組みの幅と深さが欠如している自分に気づく。教育や人間発達に関する問題を捉える際の思想的枠組み、そして問題の改善及び解決に導く思想的枠組みがあまりにも脆弱であることに対して、少々絶望感を抱く。

こうした絶望感を抱えながら、日々少しずつ前に進んでいくしか方法はない。教育や人間発達に関する直接体験を豊かにし、先人の知恵を借りるための読書、そして自分の考えをまとめていくための文章を執筆していくことが本当に大切になる。

それらのうちどれ一つも欠けてはならない。どれかが欠けている探究者や実践者がどれだけいることか。彼らが犯している過ちに陥らないように心がける。

今日も牛歩の歩みのように、昨日に引き続き、キャサリン・エルギン教授の書籍とシュタイナー教育に関する書籍を読んでいこうと思う。書物と向き合う時間や書物との向き合い方に関しては再考する余地があるだろう。

学ぶことだけしかなかったジョン・エフ・ケネディ大学時代のあり方を懐かしく思う。あの頃は、協働プロジェクトなど一切なく、毎日読書ばかりしていたように思う。あの日々と同じことを希求する自分が今ここにいる。

これも一つのサイクルなのかもしれない。今の自分に必要なことは徹底的な学び直しなのだろう。

それは教育哲学について学ぶことだけを指しているのではなく、自ら自身を学び直すことも指している。そうした学び直しを行うために、再び大学院の環境に身を置くというのは賢明な方法に思えてくる。フローニンゲン:2018/9/12(水)08:50 

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