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3110. 教育哲学への思い


時刻は午前八時を迎えた。今日もまたゆっくりとした起床だった。このところ本当によく睡眠を取っている。

これは一体何の兆候なのだろうか。結局今日も九時間近く睡眠を取っていたことになる。レム睡眠とノンレム睡眠のサイクルが一回ほど多い状態がここ数日続いている。

通りを走る車が水しぶきを上げる音が聞こえて来た。今は雨が降っていないのだが、昨夜降っていた雨が道路に残っており、通りを走る車がそれを跳ね上げている音が聞こえて来る。九月の二週目だというのに、今日の最高気温は16度であり、最低気温は6度と非常に低い。

昨日の就寝前に、今の自分がいかに不勉強かについて考えていた。それを考えると、どこか胸が痛むような感覚があった。もっと勉強時間を確保する必要がある。

確かにここ最近は、文章を書くことと作曲やデッサンなどの創造活動に積極的に従事し、内側のものを外側に形にしていくことは習慣になっている。これは私にとって望ましい習慣だ。

一方、それに並行して大切な読書についてはそれを行う時間が減少している傾向にある。ここ二年間は大学院に通っていたこともあり、自然と書籍や論文を読む時間が多かった。

だが、今年の夏にプログラムを終了してからは、少しずつ読書の時間が減っているように思える。その分、日本企業との協働プロジェクトに従事しているのだが、果たしてこのままでいいのかという思いと昨夜向き合っていた。

とにかく教育哲学と人間発達に関する思想的な探究を進めていきたい。今の自分は教育に関して、そして人間発達についてほとんど何もわかっていない。特に教育についてはそうだろう。

現代の教育の問題の所在、問題を生み出している要因や構造、そして問題の解決に向けた手立てについて、今の私はほとんど何もわかっていない。それらについて考えようとすればするほどに、自分の無知さが明らかになる。

本当に、ここから再度一から教育に関する探究をしていきたいと思う。昨年は実証的教育学というプログラムに在籍し、これまでは科学的なレンズを通して教育を考えることを行ってきた。

しかし、もはや科学的なレンズだけを通して教育を考えることに意義を見出せなくなっており、思想的な観点から教育についての探究を行っていきたいという思いで溢れている。昨日か一昨日の日記で言及していたように、英語空間に存在している教育哲学に関する全ての書籍と論文を読みたいという思いが湧いてくる。

それを行うための時間を確保すること、それを行うための環境に身を置くことを強く希求している自分がいる。今年一年は本当にその実現に向けた準備を進めていく。

昨夜の自分は何か焦りのようなものを感じていた。それを認めた上で、焦らずにゆっくりと進むことを自らに言い聞かせる。

教育哲学に関する書籍や論文を激しく読みながら、そして得られた知見や自らの考えを日記に書き記しながら、着実な歩みを実現させていきたい。フローニンゲン:2018/9/12(水)08:28 

 
 
 

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