3066.【北欧旅行記】旅の意識
- yoheikatowwp
- 2018年10月10日
- 読了時間: 3分

昨日は一時間半ほどの仮眠を取ったにもかかわらず、昨夜はよく眠ることができた。午後十時過ぎには就寝し、起床したのは七時前だった。
今日は実質上ヘルシンキ滞在の最後の日となる。明日の午前中にヘルシンキのホテルを出発し、夕方にアムステルダムに到着する予定である。
ヘルシンキ滞在の五日目の今日は、フィンランド随一の芸術作品の所蔵数を誇るアテネウム美術館に足を運ぼうと思う。この美術館で特に注目をしたいのは、18世紀中頃から20世紀の半ばにかけて活躍したフィンランドの画家の作品である。
もちろん、この美術館にはフィンランドの画家の作品以外にも、ゴッホやセザンヌなどの作品も所蔵しているため、それらもゆっくりと鑑賞したい。今日はアテネウム美術館に訪れる以外は何も予定を入れておらず、ゆっくりと美術館を堪能し、時刻が夕方になっていれば、一昨日訪れた日本食レストランに訪れたい。そこで少し早いが、ビュッフェ形式の夕食を食べる。
十日間ほどにわたる今回の旅を振り返ってみると、やはりこの十日間はゆっくりとだがあっという間に時が過ぎていくという、二つの相矛盾した時間感覚が混在していた。今回の旅においても、いつも旅をする際に気をつけているように、一日に見学する箇所を詰め込みすぎないようにしていた。
とかく多くの人は旅に出かける際に、あれこれと様々な場所を訪れたがるが、それは過食と同じであり、結局そうした経験は自分の身になっていかない。そこには名所を消費するという発想しかなく、一つ一つの名所を味わうという意識が希薄である。
一つの場所には一つの固有の魂が宿っているがゆえに、その場に固有の魂と対話をすることなしにはその地を真に理解することはできないだろうし、その地から促しを得ることもできないだろう。
今回の旅もとにかく一つの場所でゆったりとした時間を過ごしていた。そのような旅の過ごし方をしていると、不思議なことに、確かに旅は非日常的な意識を私にもたらしてくれるが、同時に生活のあり方が日常と変わらないものであるがゆえに、旅の経験が日常と陸続きになっている感覚がある。
あるいは、旅の経験は宙に浮かんでいるのだが、日常と宙が目には見えない階段で繋がっている感覚がするのである。こうした感覚が得られるのも、非日常的な旅を単に消費するのではなく、普段と同じような生活リズムの中でそれと向き合っていくことをしているからかもしれない。
そのおかげで、旅で得られた諸々の刺激や感覚がその場限りのものではなく、自分の身になっていくのを感じる。そこでは旅の経験の確かな咀嚼があり、それが真に自分を深めることにつながっていくのを実感する。
今回の北欧旅行も実質上、今日が最後の滞在日となったが、今日もまたゆったりとした時間の中で非日常的な旅の一日を過ごしたいと思う。ヘルシンキ:2018/9/2(日)07:37
No.1286: My Hometown
I came back to the Netherlands yesterday.
By virtue of the peacefulness of Groningen, my body and mind are totally relaxing. Groningen, 12:12, Saturday, 10/6/2018
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