たった今、フィンランド最古の町トゥルクに向けたバスが出発した。とりあえず無事にバスに乗ることができてよかったと思う。
ヘルシンキの中心部には大きなバスターミナルがあり、そこには20個を超える搭乗口がある。一つ一つの搭乗口にはバス会社の名前と行き先が表示されており、迷うことなく目的のバスに乗ることができた。
今回利用するのはOnnibusと呼ばれるもので、トイレやWifi、そして各席には電源プラグが備わっている。今私はバスの二階の席に座ってこの日記を書き留めている。これからトゥルクに到着するまでは二時間ほどの時間があるため、バスの窓から景色を眺めたり、過去の日記を編集したりして過ごそうと思う。
早朝に宿泊席のホテルでトゥルクの町について少しばかり調べていた。今日はトゥルクの町を訪れた際に、シベリウス博物館のみならず、トゥルク大聖堂を見学したいと思う。この大聖堂はフィンランド最古のものであり、フィンランドにおける宗教的な最も重要な建築物とのことである。
昨日ヘルシンキの町を少しばかり散策していると、当然ながらストックホルムとはまた違う印象を私に与えた。その違いについてはこれから五日間をかけて明らかにしていきたいが、宿泊先のホテルの周辺はとても落ち着いていて良い。
ホテルそのものが非常に快適な環境を提供してくれており、昨夜はよく眠れた。ストックホルムのホテルよりも周辺は静かであり——ストックホルムでは偶然にもネオナチの運動と重なった日があった——、落ち着いて滞在を楽しむことができそうだ。
先日改めて、今の知識と経験では世間に共有するに資する論文や書籍を生み出すことができないという思いを持った。ハワード・ガードナー教授のように、人間発達と教育に関する有益な一般書を世に共有するためには、知識と経験が圧倒的に不足しているように思えてくる。
だから私はこの世界の様々な場所に行き、直接経験を通じて学び続けているのかもしれない。自分はそれを託されたのだと思う。
今は博士課程の進学を真剣に検討していないが、仮に博士課程に在籍して探究を続けるのであれば、シュタイナー教育について理解をじっくり深めていきたいと思う。研究と並行して、例えば週に数回ほどボランティアとしてシュタイナースクールに関与し、そこで観察を通じた学びを得ていく。
つまり、シュタイナー教育の教育思想と教育実践を体験を通じて学んでいく。今のところ、シュタイナー教育であれば博士課程の四・五年ほどの時間をかけて取り組むべきテーマのように思えてくる。
シュタイナー教育の中でも特に芸術教育と霊性教育に着目していく。それらの教育事項についてシュタイナー教育に留まらない形で探究をしてもいいだろう。
芸術教育や霊性教育に関する一般書につながるような博士論文を書くことできるのであれば、博士課程に進学する意義を見出すことができる。私が敬意を払っている教育哲学者のザカリー・スタインは博士論文を基に書籍を出版し、ガードナー教授にしても博士課程時代の研究を一般書として世に送り出している。
博士論文を執筆し、博士課程を修了するためには人生の多くの時間を捧げる必要があるが、上記のようなテーマであれば博士課程に進学することも十分検討していいだろう。真にそれが自分に託されたのであれば、私は喜んで博士課程に進むだろう。トゥルクに向けたバスの中で:2018/8/30(木)09:02