top of page

3023. GRE試験からの解放感を感じて


フローニンゲンに向かう列車が着実と目的地に向かっている。あと一時間半ほど列車に乗ればフローニンゲンに到着するだろう。

とにかく今はGRE試験から解放されたことの喜びが非常に大きい。今回の試験対策を通じて、確かに語彙力をさらに高めることができたのは間違いないが、GRE試験の対策を長く続ければ続けるだけ、脳が劣化するように思えていた。

合理性段階の意識構造で構築された試験は、基本的には益よりも害の方が多いのではないかと思う。とりわけ、米国の大学で学士号を取得した米国人ですらGREには頭を悩ませるのだから、英語の非ネイティブがこの試験で高得点を取ることは非常に難しく、その勉強は過酷である。

単語に関しては、ネイティブですら使わないような、ごく一部の衒学的な者たちが使うような単語をとにかく大量に覚えていく必要がある。しかも厄介なのは、単語の意味だけではなく、その単語の微妙なニュアンス(単語が醸し出す微妙な身体感覚)を把握しておかなければ、同義語選択問題で高スコアを取得することは難しい。

そうした身体感覚まで養っていこうとすると、相当な努力が要求される。特に日本人がGRE試験の読解セクションの対策につまづいてしまうのはこの点だろう。

実は六年前に最初にGRE試験を受けた時、根を詰めて試験対策を行っていたところ、精神的におかしくなりそうになったことがある。今回の試験対策において、GRE試験の対策が脳を破壊してしまう危険性があるということ、そして精神をおかしくしてしまう危険性があることには本当に注意が必要だった。

今回の対策は脳にあまりにも負担をかけ過ぎないようにし、単語学習を進めていく際も脳の特性にあった適度な負荷と望ましい反復サイクルに基づいて学習を進めていくようにした。そうしたおかげもあり、今回の試験対策は精神的に参ることはなかった。

もちろん、六年前と今とを比べてみると、この六年間の間に欧米の大学院で三つの修士号を取得したのであるから、その間に十分なトレーニングを受けていたことを見逃すことはできない。いずれにせよ、もうGREを受験しなくていいと思うと、心がとても軽い。

そもそも、今回GRE試験を受験した理由としては、芸術教育と霊性教育を探究するために米国の大学院に出願しようと思っているからである。今回も博士課程ではなく、修士課程に応募しようと思っている。

その一つの候補先に、ハーバード大学教育大学院(HGSE)がある。実は過去にGRE試験を受験したのは、すべて HGSEの博士課程に進学するためであった。

だが、過去二回とも博士課程に不合格になった。一回目の受験にせよ、二回目の受験にせよ、卒業生からは修士課程から進学することを強く勧められた。

というのも、HGSEの博士課程に進学するのは基本的に内部上がりの者たちばかりであり、さもなくば欧米の名門校で修士号を取得した者が毎年一人か二人入学できるかどうかの狭き門であるからだ。

今回はその助言に従い、また今の私が博士課程にすぐさま進学することを望んでいないため、HGSEの芸術教育に関するプログラムに応募しようと思う。仮にこのプログラムに合格をすることができたら、四つ目の修士号になるが、自分が過教育者であることを気にしないようにする。

いくつ修士号を取得しようとも、学びというのは一生涯にわたって続けられるものであるため、仮に四つ目の修士号を取得したとしても、それを多いと思わないようにする。むしろそれは限りなく少ないと思った方がいいだろう。

生涯にわたって自分の関心領域を深く専門的に学び続けるという姿勢があれば、四つの修士号を取得することは全くもって大したことではないのだと思う。私の場合は偶然にも、自分が探究をしたいと思う分野の事柄が体系立てて学べるプログラムが学術機関に存在しており、そのプログラムに所属しながら学びを深めてきたに過ぎない。

今回のHGSEへの出願も全く同じだ。今はその他の大学院も検討しているが、とりあえずHGSEに出願することは確実だ。

出願に向けての準備については、書ける範囲のことを日記に記していきたいと思う。フローニンゲンに向かう列車の中:2018/8/23(木)15:00 

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

bottom of page