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2982. 「謳歌」と「全身全霊」


つい先ほど協働プロジェクトのミーティングを終えた。時刻は午後の四時に近づいてきている。

早朝に小雨が降っていたが、午前中の早い段階で雨は止み、今はすっかりと穏やか天気になっている。少々雲は残っているが、外は晴れている。

雨が上がったこともあり、今日はこれから近所のスーパーに行ってこようと思う。スーパーまでは大して距離はないが、散歩がてら気分転換を図るにはちょうど良いといつも思う。

買い物から帰って来たら、本日二回目の作曲実践を行いたい。その際にはモーツァルトに範を求めて曲を作る。

今参考にしている一連の変奏曲は、モーツァルが22歳の時に作ったものだ。それを今少しずつ参考にしており、近いうちに次の変奏曲に入っていく予定だ。

昨日ふと、「人生を謳歌する」という言葉について考えていた。とりわけ、「謳歌」という言葉に関心を示す自分がいた。

「歌」という文字がそこに含まれていることに何か特別な意味があるのではないかと考えていた。人生を充実感と共に十分に生きるというのは多分に音楽的なのではないかという考えが芽生える。

人が自らの生命力を感じる時には何か音楽的なものが内側に湧き上がっているのかもしれない。つくづくこの言葉を生み出した人の洞察の深さには驚かされる。

また、「謳」という漢字には言べんが用いられていることからも、人生を充実感を持って十分に生きる際には言葉的なものも関係しているのではないかと考えられる。日本語は本当に豊かな言語であるとつくづく思う。

日本語の漢字が持つ意味については、欧州での生活が始まって以降特に関心を持つようになっている。昨夜も就寝前に、「全身全霊」という言葉について考えていた。

この言葉を実践することは現代人にとって非常に難しいのではないかと思われる。なぜなら、現代人は身体も霊性も大きく喪失しているからだ、という考えが芽生え、枕元に置かれているノートにそれをメモしてから昨夜は就寝した。

物事に全身全霊で取り組むためには、涵養された身体と霊性が必要なのだ。健全な身体と霊性を持たずして物事に全身全霊で取り組むことなどできはしない。

自らの身と霊性を捧げる形で日々の活動に取り組むことによって初めて、本当の充実感が得られるのではないかと思われる。人生を謳歌するためには全身全霊で日々の活動に取り組む必要があり、全身全霊で物事に取り組むためには健全な身体と霊性が不可欠であることを問いたいと思う。

雲間から太陽の光が地上に差し込んできた。今から近所のスーパーに買い物に出かけ、再び作曲実践に取り掛かりたいと思う。それらの何気ない行動も自らの身体と霊性を涵養する一助となる。フローニンゲン:2018/8/14(火)16:02 

No.1230: A Dance of A Half Moon

I can see a beautiful half moon tonight.

The moonlight is a manifestation of both the moon’s vitality and hope for tomorrow. Groningen, 21:16, Sunday, 9/16/2018

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

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