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2975. 日々の源泉


今日はいつもより睡眠を取ったためか、普段以上に気力が湧き上がっているように思う。ただし、それは溌剌と外に出てくるようなものではなく、内側を静かに満たしていくようなものだ。

今日も空には雲がかかっている。明後日までは天気が優れないようだ。

今日は午前中に雨が降り、そして午後からもまた雨が降るようだ。気温については最高気温が20度前半、最低気温は10度の前半の日が続き、これがフローニンゲンの八月の気温であることを思い出した。

先々週までは何日か異常な暑さを感じさせる日があったが、今はすっかり通常の気温に落ち着いている。気温の落ち着きとともに、自分も落ち着いて日々の取り組みに従事していくことにする。

昨夜ふと、日記を毎日書いているのは、日々の生活の中に数多くの感謝することがあり、数多くの奇跡がそこにあるからだ、ということを思った。また、無数の充実感と幸福感が日々の生活の中にあるがゆえに、私はそれを文章として残しておこうとしているのだと気付いた。

日々全く同じようなリズムで生活しているように思えても、そこには多様な変化がある。その変化をつぶさに観察し、それを文章に残していく。

感謝の念や奇跡、そして充実感や幸福感の源泉は、こうした変化の中にあるのかもしれない。あるいは、そうした変化が集まった時、一つの変わらないものに変化をし、それに対して上述のような感謝の念や充実感などを感じているのかもしれない。

日々日記を書くことに合わせて、毎日作曲することも完全な習慣になった。作曲を始めて九ヶ月ほどの時間が経った。まだたったの九ヶ月だ。

そこからも、自分がまだ何も始めていないことがわかる。確かに作曲が毎日の習慣になったことは大きな始まりである。しかしまだまだこれからである。

生涯の最後の日まで作曲を続けたいという強い思いを実現させていくにあたって、九ヶ月というのはまだ実践の初期の初期に過ぎない。ここから一歩ずつ歩みを進めていく。

今は過去の偉大な作曲家が残した曲を参考にして曲を作っている段階であり、それは今後しばらく続くだろう。その期間には膨大な習作を残していき、徐々に自分の作曲語法が確立されていくことを願う。

そうしたものが確立された時、膨大に蓄積されていたものが一気に外側に形となって現れ始めるだろう。その時になって初めて自分の曲が生み出されていく。それまでは精進の期間としたい。膨大な蓄積が堰を切ったように外側に形となって現れ始めてからもまた、一段の精進をしたいと思う。

とにかく文章を書き、とにかく曲を作ること。それは一人の人間が生きた存在の記録となる。

決して鑑賞に資するために文章や曲を作るのではない。とにかく一人の人間が創造行為を通じて日々そのものを創造できるということ、日々の何気ない生活の中で絶えず奇跡を目撃し、深い感謝の念を持って充実した毎日を過ごせるということを形として残していく。

創作の動機はそれしかない。間違っても他者や社会に迎合した形で文章や曲を書かない。ガラクタのような文章や曲が無数にある一方で、わずかばかり何か伝わるものがあればそれで十分だ。

いつも自分の内側を動かすのは、他者や社会に迎合しない形で生み出された文章や曲だ。自分が生み出すものもそのような性質を必然的に帯びるだろう。今日も日記を書き、今日も曲を作る。フローニンゲン:2018/8/13(月)08:36 

No.1223: Restart

I just came back to Groningen from Amsterdam.

Feeling the tranquil atmosphere in Groningen, I’ll restart my academic and creative work. Groningen, 17:39, Saturday, 9/15/2018

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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