時刻は午後の七時半を迎えた。つい先ほど夕食を摂り終え、これから就寝に向けての最後の活動を始めようとしている。
日曜日の今日もあっという間に時が経った。明日からはまた新しい週が始まる。
一日が静かに始まり、静かに終わる。そして新たな週が静かにやってくる。
日々が本当に寄せては返す波のように思えてくる。人生は本当に諸々の意味において波に他ならないのではないかと思えてくる。
今日は一日を通して空は雲に覆われていた。だが、昨日と一昨日ほどに外は寒くなかった。
日中の気温が25度近くまで上がれば半袖で外出できるということを今日確認した。さすがに20度を下回り始めると、薄手の羽織るものが必要だと思う。今月末の北欧旅行には必ず羽織るものを持参し、昨年のノルウェーで患ってしまった風邪のような症状にならないように気をつけたい。
今日は仮眠中に不思議な景色を見ていた。どこかそれは遠くの未来の景色であり、自分が欧州のどこかの街の建物の窓から外を眺めているような光景だった。
その建物は幾分古びていたが、窓の外に広がる景色は恍惚とするような輝きを放っていた。窓の外の景色を眺めながら、私は自分の使命のようなものを改めてそこで感じ取っているかのようだった。
仮眠中の意識の中で見ていた景色を眺めている半覚醒状態の自分は、その景色を過去に見たような気がしていた。確かにそれは未来の景色のように見えるのだが、実際には随分と前からその景色を知っていたかのような感覚があった。
そして、自分の使命を改めて感じ取った時、自分の内側にはなんとも言えない感動が込み上げていた。そのような内的イメージを仮眠中に見ていた。
毎日私は昼食を摂ってしばらくしてから20分ほどの仮眠を取ることにしているのだが、仮眠中の意識状態において時に不思議な内的ビジョンを見る。これも夢と同様にとても奥深い意味が詰まっているため、今後はよりその観察を進めていきたいと思う。
今日は昨日に届いたシュタイナー教育に関する書籍を少しばかり読み進めることができた。実際に読み進めることができたのはほんの数十ページほどだったが、そうであったのには理由がある。
一つ一つのページから考えさせられることや思わず唸ってしまうことが多々あり、その都度自分なりに考えを巡らせていた。そうしたことが実際に読み進めるページの数を制限していたのである。
しかし、読書とは本来こうした形で進んでいくのだと思う。自分の問題意識に耐えず引きつけながら読書をし、そこから受けた刺激をもとに自分の考えを深めていく。
自らの問いを起点に知識を得、それを深めていくというのは、まさにシュタイナー教育の教えに他ならないと言えるかもしれない。こうして知識は真に生きた知識となっていく。
シュタイナー教育が現代の教育に果たしうる役割と意義、そして成人発達に果たしうる役割と意義が少しずつ見えてきている。これを今から何年もの時間をかけて深めていく。
是非とも秋にはアムステルダムのシュタイナースクールにコンタクトを取ってみて、一度学校を見学させてもらおうと思う。その際に、フローニンゲン大学の教授に紹介人になってもらえれば理想だ。
実際の授業を見学したり、シュタイナースクールの教師にインタビューができればと思う。奇しくも2019年は、シュタイナーがスクールを立ち上げてからちょうど節目の100年に該当するらしい。
今年はその前年だが、こうしたタイミングでシュタイナー教育に関心を持ったのは何かの縁かもしれない。フローニンゲン:2018/8/12(日)19:47