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2969. 作曲上の規則の役割


今朝は六時過ぎに起床し、六時半から一日の活動を開始させた。ちょうど今、小雨が降り始めた。

ここ二日間はとても肌寒く、八月とは思えないような気温が続いていた。昨夜は特に冷え込み、窓を開けて寝ていると風邪を引いてしまうと思ったため、窓を閉めて就寝した。

朝のこの時間帯もまだ寒く、窓を閉めている。今日は一日中曇り空のようであるが、昨日よりは数度ほど気温が高くなるらしい。

今日は早朝にシュタイナー教育に関する書籍を読みたいと思う。作曲実践を始めるよりも先に読書を少しばかり行いたい。

昨日に届いた三冊の書籍のうち、まずは一冊を手に取り、それを読み進めていく。今回は初読であるから全体を概観するような形で読み進めていこうと思う。可能であれば、残りの二冊についても今日か数日以内に同じように全体を掴んでおきたいと思う。

少しばかり書物を読んだら作曲実践に入る。昨日にふと、作曲をする際には絶えず新たな規則を作り、その規則をもとに新たな曲を作っていこうと思った。

確かに直感的に曲を作ることも大切かもしれないが、それでは偏りが生まれてしまう。あるいは、自己が自らの直感によって制限されてしまうという危険性をもたらしかねない。

今の私は、基本的に直感的に曲を作ることばかりしている。そこには確かに充実感があるが、作曲という表現活動は本来、新たな自己を開示し、絶えず自己を発達させていくという側面があるであろうから、直感ばかりに頼るのは望ましくない。

また、絶えず発達し、絶えず創造的である自己は、本質的に自らの直感を超えた存在のはずである。そうであるならば、直感にさえも縛られてはいけない。

直感だけに頼る人は、結局直感に縛られた人なのではないかと思う。直感だけに頼っていると、そこからの進歩はもはや何もない。

曲を生み出す規則というのは確かに一つの制限ではあるが、それは自己のさらなる発達を促すものになりうる。さらには、それは自己を解放し、より創造的な自己に向かわせることにも繋がりうる。

本来制限というのはそういうものを指すのではないだろうか。発達する現象が全てある一定の規則を持っていることからわかるように、自らの規則そのものを絶えず更新していくような試みが求められる。

それを作曲実践を通じて自らに課していきたいと思う。ただし、それをどのように行っていくかは完全に手探りの状態だ。

現代作曲家の中には、数で遊ぶのではなく、数学的な規則を巧みに取り入れながら作曲をしていた人たちがいる。彼らの試みの中に参考になるものがあるかもしれない。

ただし、あくまでもそれは参考にとどめ、曲を生み出す規則は自ら生み出していく必要がある。自己が発達を遂げていく際に重要なのは外側の規則ではなく、内側から生み出された新たな規則だ。

そうした規則を絶えず発見し、絶えず構築していく営みにこれから従事したいと思う。今日の作曲実践もそうした実験をする場である必要がある。フローニンゲン:2018/8/12(日)07:02 

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