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2966. 無意識すらも生み出す主体について


今日はあまり無理をせず、ゆっくりと自分の取り組みに取り掛かっていこうと思う。自分の心の静けさに耳を傾けることの方が他の事柄よりも大切だ。

とにかく落ち着いた心の有り様のまま今日の残りの時間を過ごしていく。GRE試験の対策に向けた学習も無理をしないでおこう。これまでのところ、学習は順調に進んでいるのだから。

今日中に確認しておく単語を学習し、あとは無理のない範囲でライティングと読解セクションの復習をすればいい。今日は少しばかり休憩を自分に与えたい。

午後からは久しぶりに和書を読もうと思う。森有正先生の全集の最終巻の続きが手付かずになっていたため、その続きを読みたい。

また、上の階の友人が日本に一時帰国した際に数冊の和書を持って帰ってきてもらい、持って帰ってきてもらったうちの一冊、「武満徹:音楽創造の旅」を今日から少しずつ読み始めたいと思う。

毎日目を通す日本語が自分の過去の日記だけであることは悪いことではないが、時に他者が書いた日本語を読みたくなる。今日はそうした衝動が少しばかり芽生えている。その衝動に従う形で上述の二冊の和書を少し読みたい。

先ほど今朝方に見た夢について振り返っていると、改めて無意識の深い層について考えさせられていた。それは深海の淵よりも深く、そこでの光景は常に未知なものとして現れる。

人間の意識の領域にそのような場所があるということにただただ驚かされる。私たちの意識は身体と密接なつながりを持っており、それを踏まえると、無意識というのは深く身体と繋がっているのだろう。

日々夢を観察していると、自分の無意識の深遠さには常に驚かされてばかりである。なぜ絶えず不可解な知覚世界がそこに立ち現れるのかの謎は尽きない。

夢を観察し、それを記録することを続けていけば続けていくほどに、夢を生み出す何かに自分が少しずつ接近しているのがわかる。だがいつも不思議なのは、その存在が何なのかは姿形もわからず、ただ何かに向かって近づいている自分がいることだけがわかるという状況があることだ。

目には見えない確かな何かに向かっているという実感だけがそこにある。それは無意識すらも生み出す何らかの主体と名付けることができるかもしれない。

今の自分はつくづく不思議な存在に向かっているのだということを改めて思う。その存在に近づくたびに、あと少しでそこに届くという感覚があるのだが、それがまた遠のいていくという感覚に変わる。

これが無限に続く自己の主体客体プロセスなのかもしれない。フローニンゲン:2018/8/11(土)13:06

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