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2961. 虹のアーチ


遠くの空に浮かんでいた雲の色が変わった。白から灰色に変わっている。

手前の空は晴れているためか、街全体に朝日が照っているのだが、遠くの空はどこか雨を降らせるような雲であるというコントラストがある。

先ほど一日分のコーヒーを入れながらとりとめもないことを考えていた。単に読むことよりも書くこと、単に眺めることよりも作ることがどれほど大切なことか。

多くの人は他人が書いた文章を読むことはあっても自分の文章を綴らない。多くの人は他人が作った作品を眺めることはあっても自分の作品を作ろうとしない。結局それでは自己の内側で何かが真に深まることはないだろう。

ここで注意をしなければならないのは、一見すると矛盾しているように思えるかもしれないが、読むことと眺めることもまた大切であるということだ。問題はその質と量にあるだろう。

結局人は質の低いものを少ししか読まない傾向にある。同様に、人は質の低いものを少ししか眺めていない傾向にある。

自らの実践でも自己でも、それを深めていくためには質の高いものととことん向き合っていく必要がある。結局人は怠惰なのだと思う。

多くの人は他人が生み出したものを少しばかり眺める程度であり、自らは一切何も生み出さない。そうした怠惰さに絡め取られているのだ。

質の高いものを大量に読み、読んだもの以上に文章を書くこと。質の高い作品を実際の自分の眼を通じて大量に眺め、それ以上に自らが作品を作り出していくこと。

今日はあまりにも寒いため、窓を完全に閉めた。ちょうど先ほど雨が降り始めた。その時、美しく輝く虹の姿を捉えた。

大きな虹のアーチがフローニンゲンの街に架かっている。それを見つけた瞬間、私は思わず仕事の手を止めて、書斎の窓際に駆け寄った。

心ゆくまで虹を眺めていると、もう一本薄い虹が手前に現れた。二つの虹を眺めながら自然の神秘について思う。

そこからふと、オーロラについて思いを馳せている自分がいた。目の前に広がる虹の神秘は、オーロラ観測旅行に出かけようと以前から思っていた私を大いに後押ししてくれた。

やはり来年の初旬には、北欧に足を運び、オーロラを観測しに行こうと思う。オーロラを見るためのクルーズツアーに参加しよう。

来年の一月中、もしくは二月に参加する予定のそのツアーでは、オーロラを見ることだけが目的になる。オーロラを見るために海の上でくつろいでいるだけ。途中で立ち寄る寄港地を少しばかり観光することはあったとしても、基本的には文明の発達した都市の上を忙しく観光することはしないだろう。

ふと顔を上げると、美しく輝く虹は、別れを告げることなく静かに消えていた。先ほど見た虹の美しさやその感動を曲として表現できたらどれほど素晴らしいだろうか。

虹は人類に普遍的な現象であり、そこから喚起される感動の本質も普遍的であるはずだ。そうした普遍的な感情を音楽言語を通じて表現していく。

今はその技術が全くもって不十分であることを重々承知であり、今日の作曲実践は自らが志す境地に向かっていくための大切な一歩になるだろう。一日がまた静かに、そして美しく始まろうとしている。フローニンゲン:2018/8/10(金)07:25 

No.1216: Hope in Coldness

Although it is still the second week in September, Groningen has already become cold.

Yet, it is certain that I can find hope in coldness. Groningen, 07:44, Thursday, 9/13/2018

 
 
 

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