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2960. 生気と正気が失われた現代


今日は六時前に起床し、六時を少し過ぎたあたりから一日の活動を開始した。昨日の雷雨はもう過ぎ去り、今はとても穏やかな景色が窓の外に広がっている。

柔らかな早朝の太陽が赤レンガの家々の屋根を照らしている。数羽の鳥たちが優雅に空を舞っているのが見える。

今日はそれにしても寒い。カレンダーを確認すると、まだ8/10とのことであるが、現在の気温は13度だ。

窓を開けていると冷たい空気が部屋に流れ込んできてしまうので、今は窓を閉めている。また、温かい飲み物を飲んで身体を温めるようにしている。今日は最高気温ですら20度ほどのようだ。

遠くの空に白い雲の大群が見える。その行進はとても緩やかである。

それはゆっくりと、だが着実に空を行進していく。手前の空は晴れ渡っているが、遠くの空にはそうした白い雲の塊が見える。どうやら午前中に少しばかり雨が降り、午後からまた晴れるらしい。

ちょうどチーズとナッツ類が切れてしまったので、午後に晴れてから行きつけのチーズ屋に立ち寄りたい。オランダで面と向かって生身の人間と話すのは、行きつけのチーズ屋かインドネシアン料理店を訪れる時しかない。

ここでの生活で最も頻繁に会話をしているのは、毎週に必ず立ち寄るチーズ屋の女性店主だろう。二人の女性店主がこの店を切り盛りしており、毎回どちらかの店主がいる。

人と話すのは基本的に週一、二回、そうした行きつけの店に行く時だけである。30分以上人と話すのは、かかりつけの美容師であるメルヴィンと一ヶ月半に一度話す時ぐらいだろう。

こうした生活の送り方のおかげで、日々が随分と落ち着いたものとなり、自分が本当に取り組みたいと思うことだけに集中することができている。他者や社会からの雑音が入らない生活を送ることを心がけ、自分がなすべきことにこれからも邁進していきたいと思う。

昨夜は就寝前に一つ日記を書き留めていた。その後、就寝に向けて準備をしていると、新たに突発的な考えが浮かんだ。

それは、本当に生きている人は本質的に爆発しているのではないか、というものだった。言い換えると、自らの人生を真実に生きている人からは、生命力がとめどなく溢れ出しているのではないか、ということだ。

生命力の発露がまさに爆発として知覚される。そのようなことを考えていると、現代社会においては爆発している人があまりに少ないことに気づく。それはとても嘆かわしい事態である。

逆に言えば、この社会には生命力が不活性な人間があまりにも多すぎるのだ。生命力の減退は、各人固有の芸術性や霊性の抑圧ないし枯渇という現象とも関係しているだろう。

現代は、生気と正気が失われた狂気の時代なのかもしれない。フローニンゲン:2018/8/10(金)06:57 

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