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2921. 魂の足跡


時刻は九時半に近づきつつある。本日最後の日記を書き留めておこうと思う。

このようにして日々何かあるたびに書き綴っている日記は、自分のために書かれたものであり、自分の日々を大いに支えてくれる無くてはならないものである。この一連の日記を他者のために書こうという意識が芽生えた瞬間に、この日記の意味は無くなってしまうだろう。

仮に商業出版で書籍を世に送り出す時には、それは徹頭徹尾、読者を想定し、ある一定の幅を持った読者の方に読んでもらえるような文章にする必要がある。だが、ここで書かれている日記は、私という一人の人間が人間として固有の人生を生きた痕跡を残すためにあるものであるため、他者のために文章を書こうなどという意識を持ってはならないことが明らかになってくる。

他者を想定した瞬間に生まれる、他者に迎合するような意識を持って文章を書いてはならない。もし仮にこの一連の日記を読み、何かしら感じるものを得てくれる人がいたとしても、それは百万人中の一人でいい。しかもそれはこの時代の人でなくてもいい。

自分自身がどのような人間の文章に感銘を受けて今に至るかを思い出してみる必要がある。たいていの場合、その人物はすでに亡くなっており、彼らは一様に私のために文章など書いていない。

自分のために日記を書き綴っていく際にも、一つ極めて重要な条件がある。それは自らの魂を通じて文章を書き残していくということだ。ただ一点、それだけが守られていればどのような内容の文章でもいい。

自らの魂を通して生み出されない文章は書くべきではないし、魂を通さずして生まれた文章は読まないようにする。これは本当に徹底したい。何となれば人は自らの魂を欺き、死んだ文章しか書かないし、死んだ文章しか読まないからだ。

自らの魂が入り込む度合いが少ない日記を書くこともあるかもしれない。だがそうだとしても、必ず魂の躍動の痕跡をそこに残したい。

今日読んだ書籍、そして明日以降に読む書籍の中には、すでにこの世を去った人たちが魂を込めて書いたものが数多くあるだろう。それらの書籍を読むとき、その文章の書き手は確かに自分の中に生きている。これが魂を通じて形に残すことの最大の意味と意義だと思うのだ。

魂の不滅性というのはまさにこれと関係している。これまでも何度も書き留めてきたが、私たちの肉体は間違いなくいつか朽ち果てる。

だが、魂はそうではない。魂が宿ったものを形としてこの世界に残せば残すほどに、魂の不滅性はより強固なものになっていくのではないかと思う。

時刻は午後の九時半を迎え、辺りが薄暗くなってきた。ここ最近、刻一刻と日の入りの時間が早くなってきている。

午後の十時を迎える頃には随分と暗くなってきた。今日から八月を迎えたばかりだが、秋の足音が聞こえて来る。

欧州での三年目の日々も、常に自らの魂を通じた形で一日一日を過ごしていきたいと思う。魂を持つ人間として人間らしく生きるというのはそれに尽きるのではないかと思う。

とにかく明日からも、魂の歩みを日記として、曲として、デッサンとして絶えず残していこうと思う。フローニンゲン:2018/8/1(水)21:42

No.1191: Microcosmos in Our Intestines

My intestinal flora is dancing in a rhythmical and gorgeous way.

This reality has the exterior universe, the microcosmos in our body, and the infinite universe in our mind, all of which shape fractals.

This is an astonishing fact. Groningen, 08:49, Thursday, 9/6/2018

 
 
 

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