
今日は七月最後の日となった。明日からいよいよ八月に入る。今朝のフローニンゲンは、世界の羽が輝いているかのような様相を呈していた。
一変して今は、天気予報の通り、黒い雲が空を覆い始めた。ちょうど昼食前に買い物に出かけた時は晴天だったが、どことなく湿度を感じた。
また、遠くの空に不気味な雲の塊を見つけており、雨がやってくる予感がなんとなくしていた。天気予報が正しければ、これから一時間以内に雷雨に見舞われる。雷雨が過ぎ去れば再び晴れがやってくるそうだ。
雷雨に見舞われようとも今の私の気持ちはそれほど変わらないだろう。むしろ雷雨を歓迎し、その様子を思う存分観察したい。
日々が優しさに抱擁されているという感覚が日増しに強くなる。明日から欧州での三年目の生活に入るが、明日からもより一層この平穏な感覚の強さが増していくだろう。毎日が穏やかに過ぎ去り、平穏さで始まる生活。明日からもそうした生活を継続させていく。
今日はこれから仮眠を取り、仮眠後に協働プロジェクトに関するオンラインミーティングを行う。こちらのプロジェクトに関するミーティングは一ヶ月振りであり、プロジェクトの進捗度合いを聞くのが楽しみである。
数日前に送っていただいた資料に目を通すと、身体知と発達に関する大変興味深い知見と実践方法が盛り込まれていた。それらの内容については私も参考にすることが多いように思った。
ミーティングが終わったら、過去の日記を少しばかり編集する。絶えず日々日記を執筆することに合わせて、過去の日記を毎日少しずつ読み返していくこと。それらの双方が習慣になっている。
その習慣は本当に私の人生を豊かにしてくれているように思う。文章を書きながら今に生き、過去の文章を読みながら今に生きていくということ。どちらも起点は絶えず今にあるのだ。
以前の日記を読むことに関してもそうだ。それを読んでいる自分は今の私に他ならない。こうなってくると、何をしようとも絶えず自分が今にいることが見えてくる。そしてそれが実感としてわかってくる。
さらには、実感すらも手放す形で真に今の中で生きれるようになってくる。そのような感覚が少しずつ研ぎ澄まされてくる。欧州での三年目はそうした感覚がより一層磨かれていくだろう。
感覚を養うのは文字通り、自分の体をどの環境に置くかが鍵を握る。感覚の出発点は絶えず身体であり、その身体がどのような環境に置かれているかが大切なのだ。
今の私にとって、オランダのフローニンゲンほどに自分の感覚を磨いてくれる場所はないだろう。今年一年は感覚をさらに養っていくような年になるにちがいない。
空がどんどん暗くなっていき、もう少しで雨が突然降り始めるだろう。仮眠を取り、ミーティング後に日記の編集を終えたら、午前中に引き続き作曲実践を行う。その際にはバッハのフーガに範を求める。
その時にもし雨が降っていればその雨を見ながら得られた感覚を少しでも曲の中に盛り込みたいと思う。仮に雨が上がり、晴れていれば、雷雨の後の晴れがもたらす感覚を曲に盛り込みたい。
一つ一つの曲は絶えず自分の固有の感覚とつながっており、一つの曲は自分の分身なのだ。自分から生み出される創造物の全ては本当に自分の分身なのだと思う。フローニンゲン:2018/7/31(火)13:11
No.1186: Transformative Effects of Music Composition and Drawing
Since I began music composition and drawing of my inner senses, how to use my imagination has transformed.
I’ll continue to hone my skills to express at will what I feel and see through my eyes of mind and spirit. Groningen, 08:32, Wednesday, 9/5/2018