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2843. 多様な人生


今日は日曜日ということもあってか、目の前の通りがとても落ち着いている。通行人の姿は全く見られず、道行く車もほとんど見られない。通り抜けていくものといえば、風と鳥たちぐらいだろうか。

今、ぼんやりと書斎の窓の外を眺めている。どこまでも広がる青い空。その空を時折横切っていく鳥たち。

赤レンガの家々と、その屋根に照らされる優しい朝日。そして、微風にたなびく街路樹。それらの全てが全体として一つの動的な景色を構成し、私をくつろがせてくる。

景色をぼんやりと眺めること。実はこの行為の中に精神の治癒と変容を促す作用があるのではないかと思ってしまうほどだ。

昨日読み終えたクリシュナムルティの書籍の中に、流れ行く雲を眺めること、そして鳥たちの鳴き声に耳を傾けることの大切さが偶然にも書かれていた。それらは私が意識せずとも毎日行っていることだ。

毎日、しかも一日の間に何度も窓の外の景色を眺める人生。北欧にほど近いオランダのフローニンゲンという街で一人の人間が固有の物語を通じて生きている。

こうした人生があったということ。ある街に住む人間のそのような人生があったということを書き留めておく。

この世界は本当に多様性の恩恵を受けて成り立っているのだと昨日改めて思った。多様性がなければこの世界は崩壊してしまう。

また、多様性がなければ変容も創造も起こらないことを知る。それにもかかわず、この現代社会は表向きは多様性を強調しながらも、内実は画一化の方向に向かっている。

日々誰も流れ行く雲を眺めたり、小鳥の鳴き声に耳を傾けないのであれば、自分がそれをしよう。それはささやかながらも、画一化を促す現代社会への大きな抵抗だと思うのだ。

そして、流れ行く雲を眺めたこと、小鳥の鳴き声に耳を傾けたことを書き留めておこう。いや、それらの行為から喚起された固有の内的感覚を書き留めておこう。

絶えず私たちの人生には別の無数な生き方があるということを忘れてはならない。それがこの世界の多様性をなんとか確保している。

今日はこれから過去に作った曲を二曲ほど編集する。その際に、まずは曲を聴きながらその曲によって喚起される感覚をデッサンとして記録しておきたいと思う。

絶え間ない記録と観察。そして観察からの仮説立てと仮説検証に向けたアクション。結局のところ、私は毎日それらだけを行っている。とりわけそれは作曲実践において強く見られる。

デッサンをしていて不思議なのは、往々にしてそれが黙想的な意識を引き起こすということだ。これは下手な瞑想よりも本質的な瞑想だと言ってもいいのではないかと思う。

黙々とデッサンに勤しんでいると、それは表層的な意識を一度宙吊りにし、深い意識に入っていくことを促す。作曲においても時にそうした状態になるが、作曲は思考と感覚をより全面に発揮していく必要があるため、デッサンをしている時の感覚とはやはり異なる。

だがいずれにせよ、両者がなんとも言えない充実感と喜びをもたらしてくれることは確かだ。今から二曲ほど編集し、その後にショパンに範を求めて一曲作る。

曲が出来上がったら過去の日記を今日は編集したい。そうこうしているうちに昼食の時間がやってくるだろう。フローニンゲン:2018/7/15(日)08:12

 
 
 

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