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2841. 創造を通じた学習と真理の確認作業


昼食を摂りながら、午前中にクリシュナムルティの教育思想によって喚起された事柄について再度考えていた。やはり、「創造を通じた学習(learning by creating)」の重要性は見逃すことができないように思う。

新たなものを自ら生み出していくことを通じた学び、それは自らの知識や技術を育むことを超えて、さらなる自己理解を促し、充実感と幸福さをもたらしてくれる。私はそれを日々の実践を通じて毎日実感している。

また、それらに加えて見逃せないのが、創造を通じた学習というのは、そこで「創造」がなされるゆえに、この世界に新たなものを生み出すということだ。そこには既存の教育のような、世界と自己との分断化を促すような働きは見られず、むしろその逆である。

創造を通じてこの世界につながっていくことを促すのがまさに創造を通じた学習の大きな意義だ。知識を蓄えることや技術を高めていくことだけに焦点が当てられた教育は、それそのものでは何も生み出さない。

もちろん、蓄えられた知識や高められた技術が将来に何かを創造することはあっても、既存の教育においてはそこまでを射程に捉えていない。より正確には、学習というのは本質的に創造的なものであり、人は創造を通じて自己を育み、この世界と深く結びついていくという発想が希薄なのだ。

あらゆる生命において創造活動というのは絶えず営まれているはずなのだが、既存の教育においてはどういうわけか創造活動に焦点を当てない。蓄えることに取り憑かれている様は、貯蓄に取り憑かれている現代人の様子と何ら変わらない。

先日、投資の本質には創造があるということを述べたように思う。まさに、創造を通じた学習とそれは密接な関係をなしている。

現代人の多くは、金銭を蓄えることや知識・技術を蓄えることに躍起になっている。あるいは、知識や技術に関してはむしろそれとは逆にそれらを涵養することに怠惰な人たちが多く見受けられるのも確かだ。

いずれの場合にせよ、そこには創造という大事な発想が欠けている。創造を通じた学習というのは一つ自分にとって大事な主題のようだ。

ようやく空が晴れてきた。確かに灰色の雲はまだ空の大部分を占めているが、それでも青空が見える部分が増えてきたのは間違いない。これから夕方にかけて少しずつ晴れ間が増していくだろう。

自分が納得のいく範囲で説明を施していくこと。日々文章を書く際に大切にしてるのはまさにその点である。

納得のいく形で文章を書き、納得のいくところまで文章を書いていく。それは今後も継続していくことだ。

ここでの一連の日記は、「1+1=2である」という自明な事柄について日々説明を繰り返しているだけに過ぎず、同時に「1+1=2ではないこともありうる」という真理について説明を繰り返しているに過ぎない、と窓の外を眺めながら思った。

一見するとそうした説明を施すことは面倒なように思えるかもしれないが、自分にとってはそれをしなければ前に進んでいくことができない。真理が真理であることの確認と、真理が真理ではないという真理の確認を納得のいく形で納得いくまで行っていくこと。それが日々の日記の要諦だ。

気づけば今日もすでに様々な事柄について文章を書き留めているが、これから夕方にかけて、そして夜にも何か文章を書き留めておくかもしれない。フローニンゲン:2018/7/14(土)12:59

 
 
 

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