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2826. 工事の進展と作曲における問題意識


自宅の前の通りの工事が静かに始まり出した。いや、実際には早朝のもっと早い段階から工事が再開されていたのかもしれない。先ほどまで作曲実践に集中をしていたため気づかなかっただけだという可能性がある。

通りの工事は緩やかだが着実に進展を見せている。工事の進み具合を見て何か特別なことが得られるわけではないが、ゆっくりと着実に形になっていく様子はどこか私を惹きつける。

どうやら通りの歩道はこれまでのものを残す形となり、自転車専用の道だけ大幅に手が加えられるようだ。道路の表面の石板が全て外され、石板の下の土も一度全て掘り起こすような形で工事が進んでいる。

今通りを確認すると、掘り起こされた土をどこかに運ぶためのトラックが動き出そうとしている。

早朝、初夏のフローニンゲンの朝の爽やかさを感じていると、どこからか水の精霊がやってきそうな気配を感じた。それほどまでに静謐な雰囲気が辺りを包んでいた。

今も爽やかな風が吹いており、気温も涼しい。先ほど肌寒さを感じたので書斎の窓を閉めたままにしている。

数日前に一度雨が降ったのだが、今はそれが嘘のようだ。やわらかな白い雲がスカイブルーの空をゆっくりと動いていく。

数日前に雨が降り、それが止んだ後、この世界の全てのものが新しく新鮮なものに映った。この世界は絶えず創造を繰り返しているようだ。

日々新たなものが創造されていくのは何も外面世界だけではない。内面世界においてもそうである。

日々新たな感覚が生まれ、それを言葉、絵、音として形にしていく。そうした日々を過ごしていると、内面世界における絶え間ない創造活動に気づく。

先ほど早朝の作曲実践を終えた。予定通り、モーツァルトに範を求めて曲を作った。

先日考えていたように、まだ不協和音を巧く響かせることに苦戦している。苦戦というよりも、まだ目立った実験をしていないというのが正しい。

不協和音を巧く響かせるための実験をするためには何らかの仮説がいる。仮説を立てるためにはどうしたらいいのだろうか。

直感的に浮かぶ仮説をまずは大切にしながらも、それだけでは仮説の質が担保されない。仮説を立てるための観点が必要になる。この観点はどのようにしたら生まれるのだろうか。

それは一つには音楽理論や作曲理論に関する知識を得ることがやはり不可欠である。ただし気をつけなければならないのは、そうした知識を得ようとする際に、単に書籍を読んでいても仮説に資する観点が獲得されるとは限らないということだ。

必要なのは何はともあれ実践経験であり、実践経験を基にした問題意識である。これまで多少なりとも作曲経験を積んできたため、ここからはより明確かつ具体的な問題意識を持って書物を読んでいくことが必要になるだろう。

不協和音を巧く響かせるという課題に対してより明瞭な問題意識を持っていく。そうすれば、作曲実践と書物を往復しているうちに問題を解決していく方法が少しずつ見えてくるだろう。

一つ一つの作曲実践は単に新たな気づきや発見を得るためにあるのではなく、次の課題や新たな問題意識を持つためにあるのだということを再認識したい。フローニンゲン:2018/7/12(木)09:17

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