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2806. 部分と全体の詩


無数の星が降ってくるのが見えるかのような朝。今朝はそのような気分にさせてくれる朝だ。

昼食を迎えるまでまだ十分な時間がある。今日は日曜日であるから、通りを行き交う車や人の数は普段と比べ物にならないぐらいに少ない。今目の前に広がる景色は休日の雰囲気を体現している。

先ほど、早朝の習慣の一つである作曲実践を行おうとした。バッハの変奏曲を参考にしようと思い、楽譜を広げて最初の数小節を作ってみたところ、どうも気乗りがしなかった。このような日もある。

その曲の構造が幾分複雑であり、思考を十分に働かせないと模倣ができないようになっており、今朝は幾分に自分の思考が怠惰だったのかもしれない。バッハの変奏曲に範を求めるのではなく、短めの二声のコラールに範を求めて先ほど一曲作った。

わずか八小節でも曲を作り続けていくこと。自分の内側から音を生み出し続けていくこと。これがどれほど大事であり、どれほど自分の魂を安らかにしてくれることか。

生み出されたのは本当にわずか八小節からなる曲であり、それは短い一つの詩であるように思えた。それは確かに短いのだが、それでいてそこに部分と全体の全てが内包されているように思えた。

一つの詩には作り手の全てが含まれている。そしてそれは次なる詩へと結びついていく。

一つの短い詩のような曲を作り続けていく自分なりの意義はそこにあると言えるだろう。一つの作品それだけを見ればそれは本当に小さな詩のような存在なのだが、そこにはすでに部分と全体が具現化されており、そうした詩の集積は巨大な部分と全体を生み出していく。

作曲をするという意識よりも、音で構成された短い詩を作っていくという意識を持ってみようと思う。なるほど、こうした意識が芽生えたのは、やはりここ最近詩に対して関心を持っていたことと何か関係があるかもしれない。

今日は午後からも引き続きバッハのコラールに範を求めて短い曲を作っていこうと思う。先ほど作った曲によって喚起される内的感覚を色鉛筆でデッサンしていたところ、色鉛筆を削る必要があることに気づいた。今からまずは色鉛筆を削ろうと思う。

午後からのデッサンに備えるという意味でもこれは必要だ。色鉛筆を削り終えたら、マラルメの詩集“Stephane Mallarme: Collected Poems and Other Verse (2006)”をゆっくりと読み進めていこうと思う。

残念ながら私はフランス語がわからないため、見開きページの左側に掲載されているフランス語に関しては、その色と形を味わうに留める。右側のページに英語で掲載されている詩をゆっくり味わうようにして音読していく。

詩を真に欲する自己が芽生えたことを嬉しく思う。マラルメの詩を納得のいくまで読んだら、昼食の時間まで日記の編集を行いたいと思う。

今もまだ先ほど自分が作った短い詩のような曲が書斎の中に流れている。とにかく自己に還り、自己から始めること。自分の音と自分の言葉から開始させること。フローニンゲン:2018/7/8(日)10:20 

No.1123: Toward a Ray of Hope

It stopped raining temporarily, and a little light was given to the world in a moment.

I’ll take a step to an inner ray of hope. Groningen, 09:25, Tuesday, 8/14/2018

 
 
 

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