今日は昼食前に近所のスーパーに買い物に出かけた。一週間分のカレーを作るための材料が必要だった。
近所のスーパーに行く最中、私は何度となく空を見上げた。そこにはスカイブルーの空だけがあった。文字通り、そこにあったのは空だけであった。
空しかない空を私はずっと眺めていた。雲一つなく、どこまでも果てしなく続くスカイブルーの空を仰ぎてみて思わず息を飲み込んだ。
あまりの空の美しさに私は思わず足を止めて空を眺めていた。今日の空はそれほどまでに綺麗だった。
時刻は午後の六時を迎えた。一週間分のカレーが今最後の煮込みに入っている。これから入浴をし、できたてのカレーを夕食として食べる。
夕食後は再び作曲実践を行いたい。今日はすでにドビュッシーに範を求めて二曲を作った。夕食後にはバッハの曲に範を求める。
バッハの曲を参考にして曲を作った後にまだ時間があれば、以前に街の古書店で購入した“The Future Poetry (1985)”を読み進める。
以前から何度も書き留めているように、私の内側で詩に対する関心が徐々に醸成されている。今回シュリ・オーロビンドが執筆した本書を読むのもその現れである。
一つの詩をゆっくりと味わうような認識力とゆとりが欲しい。なぜなら、日々は一編の詩に他ならないのだから。
自分が作った曲を聴いて喚起される内的感覚をデッサンとして描くことが習慣になってみると、色々と面白い気づきがある。一つには以前に指摘したように、曲にはやはり固有の色があることがわかる。
デッサンをしていて気づくのは、必然的に手に取る色と手に取らない色があることだ。それはまさしく、聴いている曲に具現化されている固有の色がそこに存在していることを示唆している。
一つ一つの曲には固有の色があるがゆえに、デッサンの際に選ぶ色と選ばない色があるのだ。「音色」とは見事な言葉である。
おそらくこの言葉を生み出した人物は音に色を見ていたに違いない。音楽を聴きながらデッサンをしてみると、その言葉の本質的な意味がありありと理解できる。
午前中から読み進めていた書籍を夕方に読み終えた。その中で、ゲーテが呼吸に宿る生成力について述べていたことが印象に残っている。
何事においても本当に呼吸は大事だ。自己と繋がることにせよ、創造性を発揮することにせよ、それらは呼吸と密接に関係している。
呼吸の神秘についてはもっと真剣に探究していく必要がある。自ら呼吸法を実践し、その実践過程における観察過程を書き留めていきたいと思う。
ヨガのインストラクターの資格を取得した時に学んでいたことをもう一度思い出そう。呼吸法の種類とその方法。
日々の生活の中で改めて呼吸を意識していく。呼吸に全てが宿っている。
今、改めて夕方の空を眺めている。依然として雲一つない青空が広がっている。
昼前よりも今の方が太陽の日差しが強い。街全体が西日によって強い輝きを放っている。爽やかな風が時折駆け抜けていく。
こうした光景が日常に存在していることの素晴らしさと有り難さを感じずにはいられない。今日の世界はまだ美しく輝いたままだろう。フローニンゲン:2018/7/1(日)18:22