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2769. 投資教育についての続き


今日の天気は本当に素晴らしい。心の中で何度それをつぶやいたかわからないほどである。それぐらいに今日の天気は晴天である。

雲が一切なく、スカイブルーの空が広がっている。先ほど昼食前のランニングから戻ってきて、昼食を摂り終えた。

近くのノーダープラントソン公園をランニングしている時、日向ぼっこをしている人や日陰で本を読んでいる人たちの姿を見かけた。公園内には私と同じようにランニングをしている人もいれば、犬の散歩をしている人もいた。

私は爽快な風と太陽の光のみならず、穏やかな時の流れを全身に浴びていたように思う。ランニングの最中に、自宅を出発する前に書き留めていた投資教育について考えていた。

改めて私が投資教育を重要視しているのは、現代人の多くが労働搾取の被害を受けているからではないかと思った。さらには、労働収入を得るためだけに人生の時間を使わざるをえないような状況に置かれていることを問題視している自分がいる。

正直なところ、投資に関するリテラシーを持たず、労働収入だけを得て生活することには限界があるように思う。限界というよりも、それは自らの人生の浪費に思えてくる。

現代人は絶えず消費を煽られるが、投資に関する正しいリテラシーを持って資産を形成していこうとする発想を持たない。そうした発想が生まれないような構造の中に現代人は置かれている。労働収入のために絶え間なく働かされ、絶え間なく消費に突き動かされるその姿はとても痛ましい。

自分自身を振り返ってみても、この十年間ほどは労働収入を得て生活をする日々が続いていたが、ここ最近は労働収入を得るための仕事を極力控えるようにしている。芸術教育と投資教育の重要性に気づいてからは、それを自らに課している。

自ら芸術と投資を学ぶことを日々心掛ける生活がこの数年以内に始まった。来年もしくは数年以内に、労働収入を得るための仕事は一切しないようにしたいと思う。

自らの使命に合致するような仕事だけをする。また、日記の執筆や作曲などの創造活動のみに従事する。

あちらの川の流れる音が聞こえ始めて以降、生き方というものをより真剣に考えるようになった。今生きている時代の中でいかに自らの人生を歩んでいくかは一人一人に委ねられている。

社会の中で謳われる物質消費的な生き方や労働収入依存型の生き方からは完全に手を切ろうと思う。そのためには日々の勉強と実践が欠かせない。ノーダープラントソン公園を走りながらそのようなことを考えていた。

今日はこれから作曲実践を行う。午前中に一曲ほど作り、昼食後にも一つ新しい曲を作る。

ただしこの曲は、午前中に参考にしていたショパンの曲に再度範を求めようと思う。午前中は長調の曲を作ったので、今から短調の曲を作る。

それに合わせて少しばかりメロディーを変更したいと思う。長調に特徴的なメロディーや短調に特徴的なメロディーはあるのだろうかと気になる。今後はその点についても注意を払いたいと思う。

昼食後の作曲が終われば一度仮眠を取り、仮眠後は論文の最終レビューに着手し始める。論文のレビューが早く終われば、再び作曲実践を行いたい。作りに作る日々が熱く静かに進んで行く。フローニンゲン:2018/6/29(金)12:59

 
 
 

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