今この日記を大英図書館の勉強机の上で書いている。今日は日曜日であるから、大英図書館の開館時間は遅く、午前11時が開館時刻だった。
朝一番に宿泊先のホテルを出発し、歩いてすぐのところにあるディケンズ博物館を訪れた。その後に大英図書館を訪れた。
ほぼ開館時間に到着したにもかかわらず、日曜日のこの時間帯にはすでに勉強している人がたくさんいた。皆思い思いに好きな本を読んだり、パソコンに向かって何か作業をしている。
子連れの家族の姿もちらほら見られる。家族で一緒になってこうした立派な図書館で読書を楽しむというのは素晴らしいことだと思う。
これから一曲作ったらちょうど昼食の時間になるだろう。図書館の地上階には小さなカフェがあり、先ほどそこでコーヒーとパンを一つ購入して食べた。
昼食は一階(日本でいう二階)にあるレストランで摂ろうと思う。昼食前に図書館の特別展示室に立ち寄り、マグナカルタの原本やモーツァルトらの直筆の楽譜を見たいと思う。
昼食を食べ終えたらそこから二時間ほど作曲を行い、図書館を後にしたいと思う。今日はワールドカップの日本対セネガル戦がある。ホテルの自室でゆっくりしながらこの試合を観戦したいと思う。
午前中に足を運んだディケンズ博物館での体験を思い出している。ロンドンの通りを散策していて面白いのは、通りに面した家の扉の上に青いプレートが掲げられている所があり、それは著名人の誰かがそこに住んでいたことを示している。
ヘンデルが住んでいた家、そしてディケンズが住んでいた家には当然ながらこの青いプレートが掲げられている。今回は足を運ぶことをしなかったが、日本人であれば夏目漱石が住んでいた家にもプレートが掲げられているそうだ。
ディケンズ博物館は地下と地上階を合わせると、合計で五階建ての建物である。ディケンズが実際に住み、この場所で執筆活動を行っていたのだと思うと感慨深い。
特に私は、ディケンズの書斎に足を踏み入れた時の印象を忘れることができない。ディケンズの仕事机は特殊な形をしており、原稿を置く台が斜めになっている。
おそらく首や肩が凝らないための工夫なのかもしれない。私も普段から書見台を使って書籍を読むようにしており、ディケンズのこうした小さな工夫に共感するものがあった。
また、私が最も感銘を受けたのが、ディケンズが厳格な決まりごとを自らに課して日々の創作活動を行っていたことである。それは非常にシンプルであり、朝食を摂ってから昼食までの時間帯はとにかく執筆活動だけに専念するというものだ。
その他の雑事には一切目をかけず、ディケンズは午前中の貴重な時間を執筆活動に捧げたそうだ。改めて私も、早朝の時間帯に創作活動に集中して従事しようと思った。
これまでも日記の執筆は毎日午前中に行っていたが、これからはそこに作曲の実践を必ず加えるようにしたいと思う。ロンドン旅行の前あたりから午前中に作曲実践をするようになっていたが、これを徹底させ、完全な習慣としたい。
もう一つ私がディケンズに感銘を受けたのは、ディケンズは社会情勢について絶えず関心を持っており、当時の時代が抱えている問題を作品の中で取り上げ、読者を啓蒙しようとしたことにある。ロンドンの衛生事情の改善を訴えるような作品や社会正義とは何かを訴えるような作品などをディケンズは残している。
実は私はディケンズの作品を何一つとして読んだことはないのだが、一人の表現者としてのディケンズには以前から敬意を払い続けていた。今回、ディケンズが小説という創造物を通じて社会に深く関与しようとしていたことがわかり、それは私にまた一つ大きな励ましをもたらしてくれた。
これから昼食までの時間を使って一曲ほど作曲したいと思う。ロンドン:2018/6/24(日)12:14
No.1101: Fulness and Happiness of Life
I feel a plethora of fulness and happiness everyday.
It is not until I began to live in Groningen that I realized the essence of how we live as a human being. Groningen, 08:05, Friday, 8/3/2018