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2745. 【ロンドン滞在記】超越的な意識を通じて


宿泊先のホテルの自室に備え付けられた小さな窓から早朝の新鮮な空気が流れ込んでくる。爽やかな空気の流れと共に、鳥の鳴き声が時折聞こえて来る。

普段生活をしているフローニンゲンの街で聞こえて来る小鳥の鳴き声は聞こえてこないが、時折聞こえて来る別種の鳥の鳴き声が私の心を落ち着かせてくれる。昨日もロンドン市内を散策していて気づいたが、ロンドンには空気が悪く、汚い通りが数多くある一方で、近くに緑があり、空気が澄んだ場所も数多くある。

また、歴史を感じさせてくれる落ち着いた通りも数多くあることも確かだ。美醜が渾然一体なった街。それがロンドンの本当の姿なのだろう。

先日の日記にも書き留めたが、母国語が英語の国に滞在することがこれほどまでに安心感を与えるのだということを改めて思う。言語というのは精神生活の隅々まで行き渡っており、それはすなわち身体の領域にまで影響を与えることを意味する。

精神的な落ち着きと身体的な落ち着きは密接に関係し合っており、言語的な安心感がまず精神空間の中にもたらされ、それが身体的な安心感へと繋がっている流れを見て取ることができる。

英国に滞在することがこれほどまでに安心感をもたらすものであるならば、こと精神空間に限れば、英国英語よりも米国英語に慣れ親しんでいる私にとっては米国に滞在することはさらなる安心感をもたらすのではないかと思う。

ここ数年間、いったい自分はどの国で落ち着いて生活をするのだろうかと考えることが増えている。一つ候補として挙がっていたのはハンガリーであり、それ以上にここ最近は将来的にオランダに定住することも視野に入れている。

言語的な安心感で言えばオランダは英語がほぼ問題なく通じるため申し分ないが、やはり英語を母国語とする国の方が言語的な安心感があるのは言うまでもない。それも踏まえて、米英以外に英語を母国語とする国についてもう少し調べてみようと思う。

仮に欧米で永住権を取得したとしても、やはり私はどこかの国に永住することはないように思う。ただし、四年以上の定住は近いうちにしたいと思う。

今のところの予定では、芸術教育についての探究を深めるために、来年は一度米国に戻ろうかと思っている。その後米国で数年間ほど暮らすか、再びオランダに戻って何年か生活をしようかと考えている。それらの国以外にも生活拠点になりそうな国はないかを調べておきたいと思う。

ロンドン滞在中もそうであるが、ここしばらく日常の中で観想的な意識状態が続いている。常に目醒めている状態が続き、この世界を超越的な視点で眺めている自分がいる。

昨日もロンドンの街を歩きながら、この状態を強く感じていた。人間が人間として動いているということ、社会が社会として動いていることが自分の世界の内側でありありと感じられる。

絶えず超越的な眼で自己を含めた全てを眺めているような意識の状態。それは確かに状態なのだが、一時的なものと呼べるほどに仮初めのものではなく、その永続性は強い。

正直なところ、こうした状態はここ最近というよりも、欧州での生活を始めた時から生じていたように思う。その強度がここ最近増したということなのかもしれない。

自分を含めた人間が、蟻や鳩、太陽や空気と変わらない存在であるという明確明瞭な認識が続く。蟻や鳩が動くのと人間が動くのとは全く変わらず、太陽や空気の移動とも変わらない。

個別の人間ではなく、それを集合的な社会に拡張したとしても同様の認識が自分の中に生起する。私は私の内側の世界にいるはずだと思っていたが、その世界の境界線の外から自分の世界すらも眺めている。

そして他者も社会もすっぽりとこの超越的な認識の中に入っているように感じる。不思議な意識の状態。今日もその状態は続くだろう。

そして欧州で過ごすこの一年間においてそれはより一層強固なものになるような気がしている。ロンドン:2018/6/23(土)07:18

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