top of page

2735. 【ロンドン滞在記】環境と自己


出来事としては昨日のことなのだが、フローニンゲンからロンドンに向かう飛行機の中で、私は時折窓の外を眺めていた。窓の外には青空が広がっていて、眼下には白い雲が所々見えた。

時にそれは白い雲海をなしており、その美しさに幾分恍惚とした気持ちになっていた。飛行機に乗る際は、仮に窓際の席に座っていたらいつも私は窓の外の景色に見とれてしまう。

とりわけ、空と雲には何か惹きつけられるものがある。また、昨日不思議な感覚に陥っていたのは、どこか宇宙から地球を眺めるかのような感覚で、飛行機の中から地上を眺めていたことである。

物理的に高い位置から地上を眺めることと、思考空間の中で次元が高い位置から低い位置の現象を眺めることが完全に合致しているかのような感覚があった。私は飛行機の中で、自分の身体が物理空間上高い位置にあるだけではなく、思考の位置も高い場所にあることに気づいたのである。これは幾分興味深い体験であった。

飛行機に乗る際にはこれまでもほぼ毎回このような感覚に陥っていたのだが、今日初めてそれを言葉にした。身体を持つ私たちにとって、やはり身体をどのような環境に置くのかということは私たちの意識に多大な影響を与えるのだと改めて思う。

本当に私たちの意識は環境に埋め込まれており、環境との相互作用で生起するという性質を持つらしい。

ある環境の中に身を置くことで初めてその環境の特質が見えてくることがある。まさに今回のロンドン旅行がその最たる例だ。

逆に、ある環境から離れ、別の環境に身を置いて初めて元の環境に対する理解が深まるという現象が起きる。それは例えば、日本を離れ異国の地で生活をすることを通じて日本に対する理解が深まることなどが挙げられる。

環境に埋め込まれてみるということ、そして環境から離れてみることの意義と重要性を知る。対象を理解するには、その環境に深く入っていくこととその環境から離れることの双方が必要なのだ。そのようなことを改めて思わされる。

時刻は午前六時を回り、この時間帯からは少しずつ人々が活動する様子が滲み出てきた。先ほど、通りに落ちた葉っぱやゴミを掻く音が聞こえてきた。早朝のこの時間帯に、誰かが清掃を始めたようだった。

再度昨日の出来事を思い返してみると、環境というテーマで何か書き留めるのであれば、フローニンゲン空港に向かう最中のバスから見える景色が本当に素晴らしかったことを述べておく必要があるだろう。フローニンゲンは文化的に豊穣な街であり、歴史も感じさせてくれる。それでいて経済が発達した都市のようにガヤガヤしていない。

空港に近づいてくればくるほどに周辺の景色には目を奪われるものがあった。通りに植えられた花や落ち着いた家々が美しい景観を作り上げていた。

改めてこの街で生きていることに喜びと感動を感じていたことをふと思い出す。どのような環境に身を置いて生きていくか。どのような環境の中で日々の探究活動と創造活動に励んでいくか。

それらについて本当に真剣に考える時期にあり、その時々の自分に最適な環境の中に身を置くようにしていきたいと思う。ロンドン:2018/6/21(木)06:20  

No.1090: The Hoge Veluwe National Park

Today, I’ll go to the Hoge Veluwe National Park and visit the Kröller-Müller Museum.

After that, I plan to enjoy cycling in the park. Perhaps, I may be able to see wild animals. If I see them, I’ll stop the bicycle and watch their strolls. Otterlo, 07:28, Friday, 7/27/2018

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

bottom of page