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2716. 絵画を眺めるように楽譜を眺めること


早朝、自宅の上空は晴れており、書斎の窓から向こうに見える遠くの空は分厚い雲に覆われていた。こちら側は晴れているのだが、向こう側は不気味な黒い雲で覆われている情景を眺めていた。

こちらが晴れている分、あちらの空は黒く見えた。それは色彩のコントラストの影響か何かなのだろうか。

今はそうしたコントラストの効果が消え、灰色の薄い雲が空を覆っている様子が見える。一見すると雨が降りそうな天気なのだが、天気予報を確認すると、今日は雨は降らないらしい。一日中このような曇り空とのことである。

早朝に作曲理論のテキストを読み終えた。昨日読んだ分については再度今朝確認した。このように、記憶が新しいうちに再度読み返すということは内容理解の定着を助けてくれる。

その書籍を最初に読んだのは昨年のことであり、今このようにして何度も繰り返し本書を読んでみると、自分の理解が当初に比べて格段と上がっていることに驚かされる。これが学習の成果であり、発達という現象なのだということを改めて実感する。

本書を読み終えた後、ゴッホの手紙をざっと眺めていた。この膨大な量の手紙には本当に驚かされる。今のようにコンピューターを使って文章を執筆したのではなく、手書きであのような膨大な分量の手紙をゴッホが書き残したことに改めて感銘を受ける。

手紙が収められた全集に挿入されているイラストを眺めながら、ゴッホの手紙を幾つか読んでいた。これからはこの全集を頻繁に読むことになると思う。ゴッホの手紙から汲み取れるものを少しずつ汲み取っていく。

一度に多くのことを汲み取る必要はない。一度に多くのことを汲み取ろうとすると、大抵それは自分からこぼれ落ちる。そのため、少しずつ汲み取れるものを得て、その内容を咀嚼していく。

ゴッホの手紙を読み終えた後は、エリック・サティの手紙を読み始めた。ちょうど三分の二までを読み終え、本書は午前中に読み終えることができるだろう。

午後からは作曲実践を交えながら、久しぶりにスザンヌ・クック=グロイターの論文を二つほど読み返すことができたらと思う。それら二つの論文はともに成人発達において非常に重要な内容を持っている。

先ほどゴッホの手紙を読んでいる最中に、日々の生活の中で楽譜を意識的に眺める時間をもう少し増やしていこうとふと思った。これは書き込みをしながら分析的に楽譜と向き合うというよりも、あたかも絵画作品を眺めるかのように楽譜を眺めていくことを意味する。

画集を意識的に眺めることによって初めて得られるものがあるのと同様に、楽譜を意識的に眺めることによって初めて得られるものがある。曲の構造的な美を視覚的に捉えるように意識して楽譜を眺めていく。

どうしても普段の生活は活字を読んだり、活字を書いたりすることが多くなる。そのような生活を送っている時に、画集を眺めることはもちろん、楽譜上に顕現する音楽的な美を眺めることは良いアクセントにある。

またそれは最上の休息でもある。これからは毎日様々な楽譜をあたかも絵画作品を眺めるかのように意識的に眺めていこうと思う。この積み重ねはきっと自分の作曲に役立っていくだろう。フローニンゲン:2018/6/17(日)08:41 

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