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2712. 運河のほとりの一羽のカモ


今日の天気と同調するかのような気分に午前中から包まれている。薄白い雲が空全体を覆っており、太陽の姿は見えない。

先ほど昼食前に近所のスーパーに買い物に出かけた。帰り道、運河のそばで休憩をしている一羽のカモを発見した。

私はおもむろにそのカモに近づき、その様子を眺めていた。全身は薄い茶色の毛で覆われており、頭の部分だけ色が違った。

顔に近い部分は白い毛で覆われていたように思う。そのカモは運河の水面を眺めているようだった。

たった一羽のカモを眺めるたった一人の自分。このカモはたった一人でこんなところで何をしているのだろうか、と私は首をかしげた。

だが、その理由については何となくわかるような気がした。私は目の前にいるカモに共感の念を持っていた。

たった一人で運河のほとりにたたずむカモ。そこにカモがたたずんでいることを道行く人はほとんど気づかない。この地球の反対側にいる人はこのカモの存在に気付き得るはずはない。

しかし確かに私の目の前にたった一羽のカモがいる。カモの毛並みは美しく、思わず手で撫でたくなるような思いに駆られたが、それはしなかった。カモはそれを望んでいないだろうと思ったからだ。

きっとそっとしておいて欲しいのだ。ただそこでそのように生きたいのだ。カモの背中はそのようなことを語っているように思えた。

つい先ほど昼食を摂り終えた。冴えない空を眺めながら、この世界に溢れる夢遊病者について考えていた。

この社会が生み出す夢遊病者とそれらの夢遊病者が作るこの社会。それから金融リテラシーについてもぼんやりと考えていた。

金融リテラシーが持つ他のリテラシーと同様の性質と固有の性質について考えを巡らせていた。文字を読めることがもたらす不幸。あるいは、言語リテラシーの未熟さがもたらす不幸と金融リテラシーの未熟さがもたらす不幸について考えさせられる。

リテラシーの向上を真面目な顔をして提唱する人たちの気が知れない。確かに、リテラシーを高度な次元で獲得していくことは自己の囚われからの解放とこの社会からの解放、すなわち究極的には自由の獲得につながっていくだろう。

しかし、リテラシーをそのような次元で獲得できる人は稀であり、中途半端なリテラシーを身につけてしまった人たちの末路は人生の不幸である。私たちを解放するはずのリテラシーが私たちを縛るのである。リテラシーによる呪縛と不自由、そして不幸がそこにある。

何を信じていいのかわからないような時代の色は濃さを増す。そうした迷いを払拭するほどの高度なリテラシーを求めようとする自分がいることに気づく。それは徹底的な鍛錬の末に得られるかどうかの代物であることが薄々わかっている。

この時代の様子を表すような天気がまだ一向に変わらない。曇りだ。

光を遮る雲が空を覆っている。現代社会の様子もそれとほとんど変わらないだろう。

昼食前に近所の運河で見かけたカモはどうしているだろうか。あのたった一羽のカモの存在が無性に気になる。

どうして私はあのカモに話しかけなかったのだろうか。カモと私もお互いに一人だからだろうか。

お互いに一人であれば話しかけても良かったのではないか。カモの背中が語っていたことがわかっただけ、それは救いなのかもしれない。フローニンゲン:2018/6/16(土)13:21 

No.1077: Forlorn Crystal

A new day started again, which is the same and different day compared with yesterday.

I’ll tackle the same things as those yesterday, finding difference. Discover of difference enriches our daily life. Groningen, 10:55, Friday, 7/20/2018

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