再び小雨が降り始めた。冷たく寂しそうな雨が降りしきっている。
通りを走る車の水しぶきを上げる音が聞こえる。書斎の窓際に行って外を眺めると、雨に濡れながら自転車をこぐ人たちの姿を見た。
明日は晴れるそうだ。明日のことなどどうでもいい。
先ほど夕食を摂り終えた後に、居ても立っても居られずにデッサンをした。ノートを取り出し、普段使っているよりも大きなスペースに絵を描いた。
そこには、感情を露わにするような激しい絵が描かれた。一つ描いただけでは描き足りず、もう一つ描いた。
今日は何か特別なことがあったわけではないのに、随分と感情が高ぶっているように思える。
時刻は夜の八時半を迎えた。空は雨雲に覆われていながらも、フローニンゲンのこの時間帯は夕方のような明るさを持っている。昨日気づいたが、今が最も日が伸びている時期なのではないかと思う。
昨夜は夜の十時を迎えても完全に日が沈んでいなかった。ここ最近はまだ明るいうちに就寝することが多くなってきている。
いつか全ての事柄を清算して人生をやり直したいと思うような気持ちが顔を覗かせる。これまでの人生をいったん仕切り直すような行動に出ようとする自分が内側にいることに気づく。
近親者と非常に親しい友人以外の誰とも連絡が取れないようにして、この世界のどこかで暮らす生活。近親者と親しい友人以外は一切連絡が取れないような生活の中にあっても、日記と作曲実践だけが継続していく。
それだけは途絶えることがない。
文章の書き手と曲の作り手には一切連絡ができないのだが、形になっていくものだけが積み重なっていく。そんな生活の姿を想像していた。
正直なところ、今の自分が理想にしている生活はそれなのだと思う。私はまだ自分や他者に嘘をつきながら生きている。いつかこの嘘をやめなければならない。
自分は何者でもないことを再度確認し、もう一度新たに始めなければならない。そんなことばかりを最近よく考える。
この世界とは違う世界で生きていくという覚悟はすでにある。あとはいかに誠実にかつ上手に諸々の清算手続きを進めていくかだ。
雨脚が少しばかり緩やかになった。改めて上記の事柄について考える。
自暴自棄になりすぎないようにする。しかし、上記の事柄は自暴自棄な判断ではない。
この世界の外に広がる世界に気づいた者であれば、誰でも必ず考えることだ。きっとそうに違いない。
昔から自分は極端な人間だと言われてきた。でもこればかりは真に人間として生きていくために必要な極端さなのだと思う。中庸の道など歩かない。砂漠もしくは崖の上を歩いていく。
この世界の外に広がる世界が見えた時、そこに向かおうとするのは必然なのだろう。そこに向かおうとする衝動を抑えることはできない。
果たして人間はいかほどに人間として生きられるのか。それだけが自分を強く惹きつける。
この世界の外側に歴然として存在している世界の中で自己の生活を築き上げていくこと。この世界の外側の世界で真の充実感と幸福感を見出しながら生きること。それらが見出せるのかなどは分からない。
発達とは呪うべき現象でもあるということがはっきりとわかってくる。発達の不可逆性。
気づいてしまったその世界を帳消しにすることなどできない。この世界の虚構性にひとたび気づいてしまったら、それをなかったことにすることなどできはしないのだ。
発達した人間の末路。それはそれでも歩くこと。
上記で書き記した、これまでの人生をいったん仕切り直すということは厳密にはできない。区切りを設けて新たに歩むことならできる。
だが、己の歴史から逃れることはできない。それは呪縛のように常に私たちにつきまとっている。
消し去ることのできない自己の歴史に気づく。過去の歴史を引きずりながらでも、この世界の外の世界で新たに生きることに向かっていく。いつか必ず極端だと思われる極端ではない行動に出る。
雨が止み、小鳥のさえずりが聞こえ始めた。自分は一体何を書いていたのだろうかと我に返る。
自分が書いた文章を少しばかり読み返してみる。至って当然な事柄が淡々と書かれている。
後数年ほど自分に猶予を与えたい。全ての事柄を誠実に清算していくための時間はそれぐらい必要だ。フローニンゲン:2018/6/14(木)20:59
No.1072: Tender Feelings
Today’s weather in Groningen is beautiful, and it has a very calm atmosphere.
Listening to the sound of breeze, my feelings become tender. Groningen, 08:51, Wednesday, 7/18/2018