雲で覆われた空の下を数羽の鳥たちが優雅に飛んでいる。私はその姿を眺めながら、再度今朝方の夢について振り返っていた。
起床してすぐに夢の内容について書き留めたが、果たしてどれだけ正確に書くことができたのか定かではない。とにかく一つ言えるのは、あのような強烈な体験を夢の中でしたことはこれまでほとんどないということだ。
直近の十年で覚えている範囲で言えば、今から七年前にサンフランシスコで暮らしていた時に見た夢と、今から二年前に見た夢の二つが、今朝方の夢に匹敵するほどの印象を持つものだった。
前者に関しては、今朝の夢と同様に、自分が宇宙空間に飛び出して行くというものだった。最初は目を奪われるような惑星の輝きに感動をしていたが、ある時を境として視界が突如として真っ暗になった。
そうした状況の中で、宇宙空間の遠くの方に光る物体を見つけた。それは一羽の青白く輝くハトであり、ハトが全身を輝かせながら宇宙空間をゆっくりと舞っていたのである。
しかもそれは一直線に進む動きであった。視線をふとそのハトから再度宇宙空間に戻すと、全く同種の輝きを持つ三羽のハトが別々の方角からある一点に向かってゆっくりと飛行していることに気づいた。
合計で四羽の鳩は、東西南北の方角からある一点に収束していくかのように飛行をしていたのである。私はその一部始終を全て見届けていた。
宇宙空間の中で目に入るのは、青白く輝く四羽のハトだけであった。ハトが一点に集まった瞬間に、宇宙空間全体が真っ黄色な激しい光に包まれ、それはビックバンのようであった。宇宙の創始を行った四羽のハトと、宇宙の生誕の瞬間を目撃する夢だった。
フローニンゲンで二年前に見た夢というのは、過去の日記でも書き留めている。伝説が残る地方の村に行き、そこで海底に沈む何体ものお地蔵様を発見するという夢だ。
全てのお地蔵様が一気に光り輝き、私に微笑みかけてくるという夢だった。特にここ数年は確かにその他にも印象に残っている夢を見てきたが、あえて二つを挙げるとするならば上記の夢が強烈に印象に残っている。
今朝方の夢はそれに匹敵するほどの印象を持つ夢であり、夢から目覚めた後の感覚は一番強いものであったと言えるかもしれない。
今朝方の夢について改めて振り返ってみると、私はある時を境に完全に失神をしていた。「失神」と書いて初めて気づいたが、この言葉は「神を失う」ということを表面的には表しているようだ。
しかし私はむしろ、夢の中で神と出会ったような感じがしていた。ここで述べている神というのは、言うまでもなく人格神ではない。
自己を遥かに超えたような存在及び全ての存在または事象が生起する全体の場のようなものを指している。正直なところ、夢の世界の中で失神するということはこれまで一度もなかったので、今でもあの体験には驚いている。
失神状態から戻ってきた時にも、夢の中の私の意識は朦朧としていた。また、夢から覚めた後の私の意識もどこか朦朧としており、ここに幾つもの意識の状態階層を見ることができる。
私は間違いなく、覚醒意識、夢見の意識、元因意識(コーザル意識)を順を追って体験していたのだと思う。仮に失神することなく、そこでも自己の意識を保つことができていたら非二元の意識状態に参入していただろう。
先ほど書き留めた夢の内容をさらに細かく眺めてみると、意識が飛んだ後に、夢の世界の中でさらに夢を見ていたことからも、夢見の意識だけを取ってみてもそこには階層構造があるようだ。
夢の世界の中のさらに一段深い夢の世界。その世界に足を踏み入れていたのが睡眠中の自己であった。
上述のように、この夢の現象面についてはそれなりに説明が可能だが、この夢が自分にもたらす意味はどういったものなのだろうか。巨大なブランコが紺碧の空に吸い込まれ、大気圏を超えて宇宙空間に飛び出した時、私は絵も言わぬほどの幸福感に包まれていた。
そして恍惚感の最中に失神した。宇宙空間で何を見ていたのかは全く覚えていない。
ただ、自分が宇宙空間そのものと一体となった感覚だけが今でも残っている。この夢は一体どのような変容作用と治癒作用があったのだろうか。
具体的にはわからないが、何か途轍もない変容の力と治癒の力があったように思える。自分の中の何かが完全なまでに癒され、自分の内側で全く新しい何かが始まったような気がしている。
それを言葉で語ることはできず、むしろそれを語る必要などないのかもしれない。途轍もない治癒と変容が自分の内側で起きたという感覚だけがあれば十分だ。
この夢についてはまだ不可解なことが幾つも存在しているため、今後もまたこの夢について振り返ることがあるだろう。今日はいつもの朝とは全く違う朝のように思えてくる。何かが本当に新しく始まったのだと知る。フローニンゲン:2018/6/12(火)08:17