
早朝に日記を書き留めていると、空が晴れてきた。今はもう薄黒い雨雲のような雲は姿を消し、青空が広がりつつある。遠くの東の空に少しばかりまだ雲が残っているが、それも時期に晴れるだろう。
今、小鳥が書斎の窓際にやってきた。ひょっこりと顔を覗かせて、ガラスの向こう側からこちらを眺めている。そしてどこかに飛び去っていった。とても愛らしい小鳥の顔を見た。
ここのところやたらと書斎の窓際に小鳥がやってくる。やはり近くに巣か何かがあるのだろう。
小鳥たちはそこでこの夏を過ごすに違いない。それは冬への準備であるかのようだ。冬の旅に向けて今はゆっくりと休み、少しずつ支度をしているのだ。
私たちの人生にも適切な休息と支度があるのかをもう一度考えてみる必要があるように思う。休息と支度の双方が大事である。
今はもう小鳥たちの姿は直接的には見えないが、引き続き美しいさえずりが聞こえている。初夏の早朝はひときわその美しさが際立つ。
空を眺めていると、改めて自分にとって空がどれほど大事かを知る。空は何か自分を惹きつけてやまないシンボルなのだ。
刻一刻と姿を変える空。空の下に広がる世界の多様性。そして空の上に広がっているであろう世界の多様性。
空の下に広がる世界は千変万化の様子が肉眼で捉えることができる。一方、空の上に広がる世界の千変万化の様子は心眼で捉えることができる。
空は下にも上にも多様な変化に富んでいる。そうしたことが空に惹きつけられている要因なのかもしれない。
ゴッホはひまわりを愛し、ひまわりをモチーフに数多くの傑作を残した。自分にとっては空なのだ。空をモチーフにした曲をいつか作りたいと思う。
仮に毎日一曲空をモチーフにした曲を作ったとしても、それは多様な姿になるだろう。なぜなら空を取り巻く世界は絶えず変化しているからである。また、空を眺めている自分自身も絶えず変化しているからだ。
そうしたことから、空をモチーフにして曲を作った場合、それは無限の多様性を見せるだろう。そうした無限の多様性を巧く表現する術を獲得していきたいと思う。
空は万民のものであり、全ての生命のものである。空を眺め、空を題材にして曲を作ることの意味はその点にあるかもしれない。
今日は昨日と同様に、午前中に音楽理論の専門書を読み進め、昼食前に一度作曲実践を行う。音楽理論に関するテキストは午前中に三読目を終えることができそうだ。
自分の状態を見極めながら、三読目の終了と同時に四読目を始め、自分の知識があやふやであった箇所をだけを確認していくように再度読み進めるのもいいかもしれない。あるいは、古代ギリシャ音楽に関する“Ancient Greek Music (1992)”の初読を始めるのも悪くないだろう。
書籍として読む本は今日はそれくらいにして、作曲実践に十分な時間を充てる。昨日のようなコンサートに出かけ、音楽体験を積むことと作曲に関する学習と実践を積み重ねていくことによって、ゆっくりではあるが着実に自分の中で深まっていくものがあることに気づく。
音楽理論や作曲理論に対する理解度の向上のみならず、はたまた作曲技術の向上のみならず、自己及び人生が深まっていくことを実感する。緩やかに、そして着実に進行することは、己と己の人生を深耕させていく。それを絶えず念頭に置きながら今日一日を過ごしたい。フローニンゲン:2018/6/11(月)07:03