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2677. それがそれであること


今日も昨日に引き続き五時前に目が覚めた。五時半を迎える手前から一日の活動をゆっくりと開始させた。

今日は日曜日であり、いつも以上に辺りが静寂である。そんな静寂な世界の中で、小鳥たちの黄色いさえずりが聞こえてくる。

毎朝このようにして鳥の鳴き声に耳を澄ませてきたことによって、鳴き声からようやく鳥の種類がわかるようになってきた。今鳴いているのはおそらくスズメだ。

ここ数日間書斎の窓辺に訪れていたあのスズメたちが、今早朝の静寂な世界のキャンバスを黄色い鳴き声で色を塗っている。今はまだは薄い雲が空を覆っているが、これから晴れてくるようだ。

今日は一日を通して涼しく、明日から数日間は肌寒い日となる。早朝に吹き抜ける冷たい風が街路樹の葉を揺らしている。その揺らぎを見ているだけで心が静かになっていく。

安らぎの中で絶えず自らの活動に励むこと。今日もそのような一日となり、欧州での三年目の生活の毎日がそのようになる。

欧州での生活は一旦三年で区切り、やはり米国に戻るのが良いのか、そのまま欧州に残る方がいいのか。その点についてここのところよく考えている。

今のところ米国に戻ることを最優先させる計画を立てているが、はっきりとしたことはまだわからない。仮に米国に戻ったとしても、いつか再び欧州に戻ってくることは確実なような気がしている。

その時もまたしばらくオランダで生活をしたいと思う。同時に、ハンガリーなどの中欧諸国かノルウェーなどの北欧諸国で生活をしたいと思う自分もいる。

今後の生活拠点についての考えは絶えず頭の片隅にあるだろう。それをゆっくりと育み、しかるべきタイミングでしかるべき場所で生活をしようと思う。今の自分にはそれぐらいしか言えない。

昨日、心臓の鼓動と大地の脈動が合致するかのような感覚があった。言い換えるとそれは、顕現世界の森羅万象の律動を感じているような感覚だった。

今このようにして小鳥たちの鳴き声に耳を傾けているのも、自然および他の生命と自己に共通する脈動を感じていることに他ならない。今鳴き声を上げているのはスズメではなく、全身が黒く、口ばしが黄色い名前のわからなぬ小鳥だ。

とても特徴的な鳴き声をしている。ちょうど目の前の一本の街路樹に止まっており、その姿を今眺めている。

その小鳥は顔をキョロキョロと動かしながら辺りを眺めており、時折全身の動きを抑え、どこかを正視している。また時々枝から枝へとせわしなく移動しながら、またその場に立ち止まる。そんな光景が見える。

欧州での生活が二年目を迎えた頃であろうか、私は日々の生活の中で、多様な生物たちが身近なところに存在していることに驚かされることがよくあった。例えば鳥たちが大空を舞っている光景を眺めては、「なぜこの世界に鳥たちが存在しているのだろうか」とふと考えることがよくあった。

同時に、鳥たちが存在していることによってもたされる世界の彩りの素晴らしさにハッと気づかされる瞬間が何度もあった。これは何も鳥たちに限ったことではなく、目の前の街路樹や道端の花や雑草に対してもそう思うことがよくあった。

さらには、小さな虫や道を歩く人々に対してさえそのようなことを思うことがよくある。この世界に溢れる多様な存在者たち。自分もその一人であり、それらがこの世界に彩りを添えている。

欧州での生活が三年目を迎える今に至って、人生を歩んでいくことの意味と、人生が終わることの意味が見え始めている。歩き続けることの意味と、歩くことが終わることの意味が徐々にわかり始めているのだ。

しかもそれは直感的な認識であり、決して知的解釈ではない点が大切だ。直感的に「それがそれである」ことがわかり始めている。もうわかり始めているのだ。

「それがそれである」というのが絶対的な解答であり、それ以外に解はないように思える。なぜならそれが絶対的なものであるからだ。フローニンゲン:2018/6/10(日)05:50 

 
 
 

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