姿の見えない小鳥たちが静かに鳴き声を上げている。今、その鳴き声に静かに耳を傾けている。
透明な世界に響き渡る静かな音。吹き抜けるそよ風の音が聞こえてきそうな雰囲気の中、小鳥たちの声が淀みなく流れていく。
そういえば今日もまた昨日に引き続き、二羽の小鳥が書斎の窓の近くにやってきて何かをしていた。今日は餌をくわえている様子もなく、窓の縁に休憩をしに来たようだった。
カサカサと音がするので窓の方にそっと近寄ってみると、ひょっこりと二羽の小鳥が可愛らしい顔を覗かせた。当の本人たちはこちらの存在に気づいていないようであり、目をキョロキョロさせながらどこかを見ている様子だった。
小鳥の毛並みや体つきなどをしばらく観察していると、一羽が飛び去って行き、それを追うかのようにもう一羽も飛び去っていった。ここ数日間でやたらと小鳥たちが窓の近くにやってくるので、巣か何かがあるのかもしれない。
昼食を摂り終えた後、少しばかりデッサンについて調べていた。特に、立体感を出すための技術について調べていた。
やはり私が思っていたように、大きなポイントは影の付け方にあるようだった。また、線の濃さを調節することによって立体感を出すことも可能なのだと知った。
もちろん私は絵描きになるわけではないから本格的に絵を描く技術を学ぶ必要はない。しかし、もう少し立体感のあるデッサンを描けるようになればという思いがある。
そうしたことから少し調べ物をして、学んだことを活かして実際に内的感覚をデッサンしてみた。本来デッサンというのは目の前にある物体を見てそれを描くことを指すのだろうが、私の場合は目の前にない抽象的な内的感覚や内的イメージを具現化させることをデッサンと呼んでいる。
この実践に関しても作曲実践と同様に、気長に学習と実践を続けていきたいと思う。何か特に目的があるわけでも、生活の糧にしようと考えているわけでも一切なく、単に内的必然性に促される形で曲を作り、デッサンを描く。
デッサンについては今後一冊程度実践書を購入してみるのもいいかもしれない。ただし、そこで具体例として紹介されている物体についてはほとんど関心がないであろうから、いろいろと工夫が必要になるだろう。
そうした書籍を購入する以外の方法としては、ゴッホや横山大観などの自分に多大な影響を与えた画家の画集を眺め、それを参考にしてみるのもいいかもしれない。デッサンについては緩やかにその技術を高めていく。
最優先させるべきは作曲技術を涵養していくことである。今日はこれから夕食までの時間をハーモニーの技法に関する専門書と古代ギリシア音楽に関する専門書を読むことに充てていく。
夕食後はそれらの書籍から離れ、今日届いたメールに対して返信し、その後、過去の日記を編集することに時間を充てたい。そして就寝前に、ゴッホのドキュメンタリーDVDを今度は英語ではなく、あえて日本語吹き替えで視聴する。そうした形で静かに今日を終えていきたいと思う。フローニンゲン:2018/6/8(金)17:26