昼食前にランニングに出かける際に家を出ると、郵便受けに一冊の書籍が届けられていることに気づいた。ランニングから戻ってきて早速中身を確認してみると、先日注文をしていた“Exanding Tonal Awareness: A Musical Exploration of the Evolution of Consicousness (1992)”だった。
この書籍は一般的な音楽理論とは随分と毛色が異なる。というのも、ルドルフ・シュタイナーの色彩理論や音楽理論を参考にする形で執筆されているからである。
本書で大変興味深いのは、シュタイナーの意識の形而上学思想と伝統的な音楽理論を見事に組み合わせて独自の音楽理論を展開している点だ。思っていた以上に書籍の型が大きく、それでいて中身の文字は細かい。
音楽理論を解説しているたいていの書籍は、確かに学術的に正しいことを必要なだけ説明をしているのだが、いかんせん記述方法がつまらないものが多い。それに比べると、この書籍は既存の音楽理論書にはない観点で音楽理論を解説している点でユニークであり、それでいて伝統的な音楽理論の知見もないがしろにしていない点が優れていると思う。
まだ中身を詳しく読んだわけではないが、中身をざっと確認してみるとそのような印象を持った。この書籍も繰り返し読み込み、自分の作曲実践に活かしていきたいと思う。
美学にせよ、作曲・音楽理論の書籍にせよ、それらに関する書物を読んだら、即座にそれが実践に滲み出てくるようにしていきたい。それがすぐに形になるかどうかという意味ではなく、精神的な態度としてそれが滲み出てくるようになり、それがいつか自分の作品として形になって出てくるようにしたいと思う。
本書もまた自分の肥やしになってくれることは間違いないであろう。本書の到着をもって、この夏から始まる今年一年間の探究の準備は整ったと言える。あとは本当に必要な書籍だけを購入するようにしたい。
今のところ自分が必要だと思う書籍は十分手に入り、まずはそれらの書籍を繰り返し読み込んでいくことを最優先にする。手を広げすぎるのではなく、直近で購入した書籍だけでも十分な量になるのであるから、これまでに購入した書籍を何度も読み、それらとできる限り親しくなっていくようにしたい。夏から始まる新たな探究活動が非常に楽しみだ。
今日は午前中にロンドンの旅行計画をざっと立てた。滞在中にどこに訪れるのか、そして宿泊するホテルとフライトを確認した。今日の夜にでもホテルとフライトを確保しておこうと思う。
ロンドンへの旅行計画を立て終えると、そこから少しこの夏以降の旅行計画についても全体像を再度描き直した。まず来月には二泊三日ほどオランダで国内旅行をする。
以前の日記で書き留めていたように、オディロン・ルドンの特別企画を見に行くためにクレラー・ミュラー美術館へもう一度訪れる。いかんせんフローニンゲンからそこまでは距離があるため、今回もデ・ホーヘ・フェルウェ国立公園近くのホテルに宿泊する。
昨年もこの国立公園近くのあるホテルに宿泊したのだが、本当に静かで素晴らしい環境だった。今から六年前に、米国のヨセミテ公園の中にあるロッジに泊まった記憶がふと思い出される。
あの時も大自然の静けさに心を打たれ、そしてその壮大さに感動したのを覚えている。来月もまた自然の中に入ることによって、自己及び自然と深く繋がりたいと思う。
八月はスウェーデンとフィンランドに旅行に出かける。この時は両国の主要都市に訪れることになるだろうが、できるだけ自然が感じられるような場所に宿泊する。九月にはドイツのデュッセルドルフとボンを訪れ、十月には五年振りに米国のボストンに訪れようと思う。
当初イタリアとエジプトへは今年の年末か年明けを予定していたのだが、11月の中旬あたりに両国を訪れる。12月はあえてどこにも旅行には出かけず、フローニンゲンで静かに暮らす。その代わりに年が明けた一月には、ノルウェーのオーロラ観測クルーズに乗船しようと思う。
クルーズの期間としては一週間ぐらいのものを選ぼうと思う。10日を越すクルーズもあるようだが、それはまた今後の楽しみとしたい。
二月にはベルギー、三月にはギリシャとトルコ、四月にはスペインとポルトガル、五月にはクラクフ(ポーラント)とアウシュビッツ、六月にはスイスを予定している。このように書き出してみるとここからの一年間は随分と多くの場所に出かけることになる。
私の生活は本当に極端であり、普段は近所のスーパーにしか外出をしない。特にこの夏からは学術機関に所属しないことに決めているので、大学に足を運ぶ必要もない。そうなるとなおさら外出はしないことになる。
そのような生活の中に毎月ポツリポツリと旅行が入ってくる。
ここ最近ふと思ったことがあり、それは私はある年齢に達したらピタリと旅行をしなくなるかもしれないということだ。もちろん四年に一度ぐらいは船旅で世界を回りたいと考えているが、飛行機を用いた旅行はある年齢を境にもはやしないように思える。
自然の中で静かに時を過ごしていくような日々。そのような日々が遠い未来に待っているように思えてくる。
ただし今はまだそうした時期ではなく、特に今年はせっかく欧州で自由な時間があるのだから、出不精の自らを鼓舞する形で積極的に旅に出かけたい。実際には自らを鼓舞するような必要は一切なく、自分の魂が旅を求めている。
これまでよりももっと激しい内面の旅を求めている。今はそれが単に外側の旅となって形に現れ始めているにすぎないのだ。フローニンゲン:2018/6/7(木)16:59
No.1056: A Fragment of Passionate Memory
Zest is not a hodgepodge of fragments of passion but their whole. Groningen, 08:21, Monday, 7/9/2018