気がつけば夕方の四時を迎えた。午前中はとても涼しく肌寒くもあったが、今は随分と気温が上がっている。
気温自体は27度に到達しているようだが、それでも暑さは感じられない。窓の外に広がる景色を眺めると、燦然と輝く太陽に照らされて動植物が微笑んでいるかのようである。
今日はすでに二曲ほど曲を作った。一曲はショパンに範を求め、もう一曲はモーツァルトに範を求めた。
偉大な作曲家の楽譜をスキャフォールディングにして実践を積んでいくこと。今の私にとってこれが最良の実践であり、同時に最良の学びになる。
確かに午前中に読んでいた作曲理論の専門書なども良い学びにはなる。今後の作曲実践をより豊かなものしていくためには、少しずつ音楽理論や作曲理論に関する知識を拡充していく必要がある。
そうしたことからも、今後も少しずつそうした書籍を読んでいく。だが気をつけなければならないのは、それらの書籍を読むことを目的にしてはならず、徹頭徹尾、曲を作るという実践を最優先にしていかなければならないということだ。
実践に勝る学びはなく、実践によって得られる喜び以上のものを書物から得ることは難しい。今日の作曲実践と作曲理論の学習はここで切り上げ、これから論文の加筆修正に取り掛かる。
先ほどまでスイスへの旅行計画に思いを馳せ、スイスでの生活の様子などについてあれこれと調べていた。一昨年の夏にスイスのニューシャテルに滞在したが、それ以外のスイスの主要都市へはまだ訪れたことがない。
少しばかり気が早いが、来年の今頃には特に旅行の計画も入れていなかったので、ジュネーブ、チューリッヒ、ローザンヌのいずれか、もしくはすべての都市に足を運んでみたいと思う。スイスについてあれこれと調べていると時間が経ってしまい、これから論文の執筆に集中する。
幸いにも一昨日の段階で山場を乗り越えたため、今日の執筆はより円滑に進んでいくだろう。先行研究に関するセクションの加筆修正が終わり、今日はそれ以降のセクションに加筆修正を加え、特に“Discussion”のセクションで言及する本研究の限界について新たに一つの項目について文章を書き加えようと思う。
新たに見つかった限界が何であり、それをどのように説明していくのかの道筋はすでに明確だ。新たに二、三本ほど論文を引用する形でその限界について言及しておきたい。
論文の加筆修正を夕食前、もしくは夕食後の一時間以内に終えることができればと思う。そこから一時間ほどルドルフ・シュタイナーの“Art as Seen in the Light of Mystery Wisdom (1984)”を読み進めていきたい。
この夏からはとにかく芸術教育や美学に関する専門書や論文を少しずつ読んでいく。あくまでも日記と作曲を主軸にしながらも、読書に関してはそれらのテーマに関するものを読んでいく。
それらのテーマはこれまでの自分にとって未知なものであるがゆえに、それらは自己の新たな側面を開いてくれるだろう。芸術教育の意義、そして美が人間の生にもたらす意義についての考察をゆっくりと進めていく。
欧州で生活をし、この世界を旅しながら芸術と美の観点から人間存在を考えていく。少なくともそれは今後数年間続くテーマになるだろう。フローニンゲン:2018/6/6(水)16:30