2643. 【アムステルダム滞在記】変容の過渡期の中で
- yoheikatowwp
- 2018年7月8日
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アムステルダムでの滞在も今日で最後となる。滞在の最終日は国際ジャン・ピアジェ学会が最後の日であるということを示している。
今回、私はこの学会に参加することによって諸々のことを学んだ。もちろん、知識の面で非常に有益な学びがあったのは確かだが、それ以上に大きな学びは、学術機関に所属して研究をしないようにすることの自分にとっての意義だったように思う。
昨夜も就寝前に少しばかりあれこれと考えていたが、大学の教授になることは避けようと思う。学術機関に所属していては自分が真に打ち込みたいと思っていることに打ち込むことなどできないことが明白なものになった。
今回の学会に参加することによって得られたことは、学術研究を行うことへの失望だったように思う。この失望感が今の私には必要だったようだ。
これまでの人生を通じて、学術研究そして学術機関に所属することに対して何度か不信感を抱くことがあったが、今回のものは同種でありながらも質的には異なる感覚だったように思う。
本来今日も学会があるのだが、もう今日の学会に参加する気力はない。今回の学会は、これまで私が関心を持ち続けていた発達科学、しかも複雑性科学の観点から発達現象を扱う最大の学会であるはずなのだが、もう関心がそこにはないことを知る。
発達科学と複雑性科学への関心はもう薄れてしまっている。ここに人生が次のフェーズに向かっていることを見て取ることができる。
自分の探究活動が新たなものに変容する予感をここに感じる。もちろん、今後も多少なりとも発達科学と複雑性科学に触れることはあるだろうが、それを主な探究活動にはしない。
今回の学会に参加した意義は、自分の探究活動を全く別のものに変えていくきっかけを提供してくれたことにあったと言えるだろう。人生の一つの章が終わり、別の新たな章が始まる。
今日は学会に参加しないことにしたので、午前中にアムステルダムを出発する。ホテルをチェックアウトするのは九時過ぎにしようと思う。
これから一階のレストランに降りていき、水とコーヒーを取ってくる。チェックアウトの時間までは過去の日記を編集することや作曲実践を行いたい。
三日前に訪れたヴァン・ゴッホ美術館で購入した五冊の文献をすでに全て読み終えてしまった。ゴッホの生涯、そしてゴッホの作品には強く私を惹きつけるものがある。
ゴッホは画家になる前に、異常なほど熱心に神学を学び、牧師になろうとしていた。しかしその道を諦め、画家になることを決心した。
科学を熱心に学んだ今の自分が科学に対して失望をし、自らの創造活動だけに従事しようとしている今の姿をゴッホの生き様についつい重ねてしまう。
人間の発達を本格的に探究し始めてどれくらいの期間が過ぎただろうか。よくよく考えればまだ七年ほどしか経っていない。
今ここで変容の節目がやってきたことに驚く。「あぁ、これが変容の過渡期か」ということを身をもって体験している自分が今この瞬間にいることに驚く。
発達現象を科学的な観点から探究することからはしばらく身を引きたいと思う。もしかしたらもう二度と科学的な探究をしないかもしれない。
それは一人の探究者として完全に新たなフェーズに移ったことの表れであり、歓迎すべきものだろう。フェーズが移行することに伴うこのなんとも言えない喪失感を書き留めておく。
思想と芸術だけが目の前に残った。やはり自分には初めからそれらしかなかったのかもしれない。
逆に言えば、最初からそれらだけが自分の内側にあり続けていてくれていたのだ。それに気づかなかったのは私自身であった。
思想と芸術。今日からまた目的地のない目的地に向かってゆっくりと歩みを進めていこうと思う。今日のアムステルダムの朝は妙に静かだ。アムステルダム:2018/6/2(土)06:45
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