top of page

2641. 【アムステルダム滞在記】漂流の旅の終わりに向かって


気づかないうちに今日から六月に入った。時の流れは速く、今月の中旬に修士論文を提出すれば、三つ目の修士過程を無事に修了することになる。

論文の評価は七月中になると思うが、論文さえ提出できればそこからはもう完全に自分の探究だけに全ての時間を充てることができる。そこから毎日、自分が読みたい書物をとことん読み、とことん何かを考えそれを文章にし、とことん作曲実践に打ち込みたいと思う。

以前仮に今後学術研究を進めていくのであれば、博士号を少なくとも三つほど取得しようと思っていることを書き留めていたように思う。だが最近は、学術機関とそれを取り巻く文化と制度に少々失望しており、博士号を取得するかどうかも改めて考え直している。

この一年間は再度自分の関心を問い直すような年になるだろう。一つ言えるのは、これまで取得した二つの修士号のように、理系的(科学的)な博士号にはほぼ関心が無くなってしまった。

また一つ夢から覚めたような感覚だ。仮に博士号を取得するのであれば、思想関係のものになるだろう。しかも領域は美学や芸術が有力な候補として挙がっており、それらの領域と人間発達を関係づけるようなテーマであれば博士論文を書こうという意欲が湧いてくる。

ただしそれも今はまだそれほど強いものではない。昨日から非常に楽しみにしていた学会に参加している最中に言うのも少々忍びないが、学術的な世界にいることが徐々に窮屈なものに感じられ始めている。

もう本音を述べると、結局自分は学術研究よりも芸術活動に従事したいようなのだ。一切の金銭報酬を求めず、ただ作りに作るだけの日々を送りたい。

極端な話、作ったものが世に出るのは自分の人生が閉じてからでもいいと思っている。ただ作るということの中にだけ無上の喜びがある。

ここ数年以内に諸々の事柄を清算するというのは、創造活動だけに従事できるような生活を実現させるための準備をするという意味であり、それは水面下で着実に進んでいる。一般的な意味での引退は遅くとも30代の半ばまでに行い、創造活動における引退は一生しない。

金銭報酬を得るような仕事からできるだけ早く手を引きたいと思う。ただ作るだけでいい。ただ作るだけの生活だけが自分を人間らしくしてくれる。

自分が人間であることを確認し、人間らしく生きることを実感させてくれるのは創造活動だけになった。それ以外のことは本当に望まない。少なくとも自分にとっては全く不要なものになってしまった。

夢から覚めるとまた一つの夢から覚める。今回剥がれ落ちた夢は随分と根の深いものだったように思う。

無数の階層を持つ夢から徐々に目覚めていくプロセス。それが人間の発達過程における真髄なのだと改めて実感する。

この地球上のどこかで人知れず生活を営み、日記の執筆と作曲だけを毎日淡々と続けていくだけの生活。自然を感じられる場所で文章を書くことと曲を作ること以外に何を望むというのだろうか。

人間として生きていく上で生涯欲望を持ち続けることが宿命づけられているのであれば、そうした生活を送る欲望だけは許容して欲しいと思う。あとは他に望むことなど一切ないのだから。

今年一年は特に欧州各地を旅行し、今後数年間は船旅を含めて世界の様々な場所を訪れたいと思う。それはどこか自分の安住の地を探し求めるような漂流の旅のように思える。

人知れず生活を送り、日々絶えず創造活動だけに従事することを可能にするような場所はこの世界のどこにあるのだろうか。まずは自分の内側で確固たる場所を見つけ、それにふさわしい外側の場所を必ず見つけたいと思う。地球上のどこかにそうした場所があってほしい。アムステルダム:2018/6/1(金)08:09 

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

bottom of page