時刻は七時半に近づいてきた。霧が晴れ、少しばかり朝日が差し込み始めた。
今日もどこか涼しげな雰囲気を漂わせているアムステルダムの朝。今回学会に参加するついでにアムステルダムに宿泊して正解だったように思う。
学会期間中にフローニンゲンとアムステルダムを行ったり来たりするのは、時間と疲労の観点から全くもって現実的ではなかっただろう。また何よりも、アムステルダム中央駅とは異なる、アムステルダムの街の南にある学会会場近くのホテルに宿泊することによって、その辺りを散策することができたことは幸運であった。
というのも、そのおかげでアムステルダムの新たな表情を発見することができたからである。これまでの印象とは異なり、アムステルダムの街に住むこともそれほど悪くはないと思わせてくれるような景観がそこに広がっていた。
今宿泊している周辺は、街の中心部に比べて人はそれほど多くなく、どこか落ち着いた雰囲気を持っている。こうした場所であれば生活をしてみても良いと思わせてくれるものがここにある。
ただし私は、昨日も考えていたように、今後は自然の中で暮らしたいと思う。決して街の中ではなく、人がほとんどいないような静かな自然の中に生活拠点を構えたいと思う。
もしかするとこのようなことを考えるのは人生のフェーズにおいて少し早いのかもしれないが、もう街での生活に魅力を感じていない自分がいる。自分が日々打ち込んでいる仕事の性質を考えれば、街にいる必要などほとんどなく、むしろ自然の中にいた方がより仕事に打ち込むことができるように思う。
今後しばらくは街に住まざるをえないと思うが、仮にそうだとしても、できるだけ静かな街を選び、その中でも落ち着いた場所に生活拠点を設けようと思う。とにかく人の少ない静かな環境を求める。
ゴッホの手紙を昨日少しばかり読んでいた。あの時代と今の時代は随分と変わってしまった。
以前から考えているように、できれば今後数年以内に諸々の事柄を清算し、Eメールを使わないような生活をしたいと思う。身内にだけ住所を教え、オンラインの買い物で必要なEメールアドレスだけを持っておくがそれは誰にも教えないようにする。
万が一何かやり取りが必要な場合は手紙にする。これは現代社会においてなかなか実現させづらいことかもしれないが、今でもそのような社会があることを知っている。
また、オンライン上の過度なやり取りが私たちの精神生活をいかに貧困なものにしているかを考えてみなければならない。昨日も学会参加中に考えていたが、日々の生活の中に創造活動さえあれば他に何もいらないことに気づく。
ただ作り続けるだけの生活。これからの数年間においては本当にごく少数の人たちとだけ付き合いをしていく。
あと数年以内に諸々の事柄を清算し、創造活動だけに邁進する簡素な生活を送りたいと思う。その実現に向けて今日がある。
ホテルの目の前の大通りを車が走る音が聞こえ始めた。どうやらアムステルダムも目覚めの時を迎え、一日の活動を開始するようだ。アムステルダム:2018/6/1(金)07:42