ヴァン・ゴッホ美術館に訪れることができて本当に幸せに思う。ゴッホは私にとって、創造活動上の最大の模範にしなければならない。
三年振りにゴッホ美術館を訪れてみて、ゴッホの偉大さに改めて触れ、領域は異なれど、彼を表現活動上の師として仰ぎたいと思う。オランダにいる間に少なくとももう一度この美術館に足を運ぶ必要がある。必ずまた来たい。それぐらいに今日この美術館で得られたものは大きかった。
この美術館には、何度訪れても新たな発見が常にある。ルーブル美術館のように、いやそれ以上に自分にとっては発見と励まし宝庫なのだ。
三年前とはまた違う印象でゴッホの数々の作品に触れ、美術館内に立てかけられた数々の説明文をこれまでとは違った印象で読み進めていた。そうした感覚的な差異を生み出したのは間違い無く、私がこの三年間で少なからず成熟を遂げていたからだと思う。
何よりも、私はこの三年の間において大きな変化を経験した。様々な変化が挙げられるが、最大のものとしては、何より作曲活動を始めたことだ。
兎にも角にもこれが一番大きい。欧州で生活を始めて得られた最大の恵み。それは他でもなく、作曲実践の開始にあると言える。
これまでの人生で積み重ねてきたことが全く予想しない形で一つの総体となり、それが欧州での生活を経て発酵され、欧州の文化に触発される形で私は作曲を始めたのだと思う。ちょうど三年前にこの美術館を訪れたのは、フローニンゲン大学に入学する半年前であり、サスキア・クネン教授とルート・ハータイ教授に直接会って話を聞くためにオランダに訪れた時であった。
あの時から今の自分に起こった最大の変化は、自らが芸術活動上の表現者の一人になったことだ。作曲実践を本格的に始めてまだ一年に満たないが、それでも表現者としての活動に従事し始めるのとしないのとでは、ゴッホ美術館で受け取るものが全く異なると思わされた。
ゴッホがいかに全身全霊で絵画の道を歩んでいたか。それが痛いほどに、そして感動的なほどに私に伝わってきた。ゴッホのように修練に次ぐ修練を行っていく。
今日このようにしてゴッホ美術館に訪れたのは本当に何かの偶然であり、何かの導きかもしれない。というのも偶然ながら今日私が美術館を訪れた時の特別企画は、「ジャポニズムとゴッホ」だった。
ゴッホは浮世絵から大きな影響を受け、日本の多くの浮世絵師から影響を受けている。中でも、葛飾北斎や歌川広重はゴッホに多大な影響を与えた。
ゴッホが彼らの作品に影響を受けて描いた絵画作品と共に、北斎や広重の作品を鑑賞する幸運に恵まれた。ゴッホの偉大さだけではなく、私は改めて北斎や広重を中心に、日本の浮世絵師たちの技巧の卓越性に感銘を受けた。
私はおそらく、美術館内にいる他の人たちとは全く異なる気持ちでその場に飾られていた絵を見ていたように思う。あえてそれがどのような気持ちかについては直接的には語らない。
時代錯誤に思われるかもしれないが、いつか創造活動のために全てを捧げようと思う。日々を創造活動を中心にし、できるだけ簡素に質素に生活を営んでいく。
必要なものは自分の創造活動と家族と過ごす時間のみ。その他にあえて挙げるとすれば、読書ぐらいだろうか。あとは何も望まない。
あと数年以内に、そうした徹底した生活を実現させる。そうした生活を実現するための経済基盤を構築し、全ての仕事を清算した上で創造活動のみに従事する。
仮に学術機関に所属しているのであれば、創造活動に関係した探究、それは例えば美学や作曲技術の発達現象などに絞って研究を進めていく。ゴッホや北斎のように、創造に明け暮れた日々を過ごしたいと熱烈に臨む。
そして、人生を閉じる最後の瞬間まで創造活動に従事するという強い気持ちが湧き上がる。欧州での三年目の生活は自分に試練を課そうと思う。
この一年の間に自分がどれほど準備ができるのか。創造活動に全てを投げ打つための諸々の準備をどれだけできるのか。それを試したいと思う。アムステルダム:2018/5/30(水)21:36
No.1047: A Serene Hymn
I finished the second master’s program for me at the University of Groningen.
I can hear a serene hymn to celebrate it. Groningen, 08:20, Thursday, 7/5/2018