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2632. 書物の読み方の再考


昨夜ふと、書籍の読み方について振り返っていた。ここ最近大量に書籍を読む日々が続き、書くことがおぼつかないぐらいに読書に没頭していた。

それだけ今の私を惹きつけてやまない書籍が数多く存在しており、実際にそれらが書斎の中にある。この夏は特に集中的に読書を行おうと思っており、書物の読み方については少しばかり工夫がいるかもしれないと思った。

関心領域が多岐に渡っているということも考慮しなければならないが、数多くの書籍を読み進める際に、当然ながらその内容理解と定着が重要になる。これは自分に言い聞かせる必要もないが、一読しただけで書籍の内容が理解できるはずもなく、その内容が定着するはずもない。

ここで重要になってくるのは、やはり繰り返し書籍を読むということだ。ただし、書籍を繰り返す際に重要になるのは、一読目に多くの時間をかけすぎないことだと思う。

仮に一読目にじっくり腰を据えて読もうとすると、途中でもうその書籍と付き合うことは十分だと思ってしまう気持ちになってしまったり、仮に最後まで読み通してみたはいいものの、内容理解と定着がそれほど進んでいなかったという経験は誰しもあるだろう。

そうしたことを防ぐために、一読目は正直なところ、その書籍がどのような雰囲気を持つ書籍なのかを掴む程度の読みで十分なような気がしている。書籍の全体像を掴み、どこにどのようなことが書かれているかを把握すれば十分なのだ。

もし仮に余力があれば、目に止まる文章の中で自分の関心を引くものや重要なものを選んで読んでいく。このように読み進めていけば一読目は時間がかかることはないだろう。

このようにして一読目を終えた後、次の日か数日以内に同じ書籍をほぼ同様の読み方をしていく。ただしこの際には、すでに下線や書き込みをした箇所を中心に再度それらを読み返すことと、その周辺に記載されている見落としていた重要な記述を見つけるかのように読むことを意識する。

こうすれば二読目もそれほど時間をかけずに行うことができる。ここから三読目、四読目に関しても実はほとんどプロセスは変わらない。このようにして何度も重ね塗りをするかのように一冊の書籍を繰り返し読んでいくことが内容理解と記憶の定着を助けてくれる。

とりわけ重要な書籍に関しては是非ともこうした読みを心がけたい。以前にも似たようなことを書いていたように思うが、ついつい過去の悪しき習慣によって精読をしてしまう自分がいる。

精読そのものは否定されるべきものではないが、一冊の書物を全て最初から最後まで精読しようとする読み方は基本的に失敗に終わるだろう。そのように読むことを教育されていたのであれば、アンラーニングが必要だ。

書物は何度も繰り返し付き合ってくれることを望んでいる。何度も繰り返しその書籍と付き合うことによって、徐々に色々なものをその書籍は私たちに開示してくれる。書物と付き合うというのは人付き合いと似ているようだ。

こうした読み方は、この夏に完全に習慣となるまで意識的に実践したい。この夏は、意識の形而上学、美学、作曲関係の書籍を大量に読み進めていく予定であるため、実践対象に事欠くことはない。

特に、明日の学会から戻ってきたら、音楽理論のテキストと作曲理論のテキストを一気に繰り返し読むようにしたい。音楽理論に関してはこれまで使ってきた二冊のテキストを読み込んでいく。

作曲理論に関しては項目として、フーガ(一冊)、転調(二冊)、ハーモニー(二冊)、対位法(一冊)、メロディー(一冊)、コード理論(一冊)、作曲の基礎(三冊)を何度も繰り返し読む。書斎の机の上に積み上げられたそれらの書籍を眺めていると、この夏は、どこか中高時代の定期試験に臨むような感覚がするが、その感覚はとても肯定的なものだ。

自分の芯からそれを望んでいる。それらの書籍に対する理解と記憶を定着させていくことに多くの時間を充てたいと思う。

学生時代に英単語を覚えるために何度も繰り返し単語帳を読み込んでいたように、上記のテキストを何度も反復させていく。そうすれば、夏を終え、一年が経つ頃には、作曲の技術もまた進歩を遂げているだろう。フローニンゲン:2018/5/30(水)06:58 

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