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2607. 不気味な夢が開示したもの


今朝方見た夢について書き留めていると、その夢についてあれこれとまた考えている自分がいた。夢の中の二つの場面はどちらも不気味な雰囲気を漂わせていた。

二つの場面の中で喚起されていた感情をもう一度思い出す前に、私は一旦書斎の窓の外から青空を眺めることにした。そこには鮮やかな青空が果てしなく広がっていた。

今もまだこの青空を眺めている。空には雲一つなく、遠くの空の下を飛ぶ鳥たちの姿が見える。また、今この瞬間には小鳥の鳴き声が聞こえたり、目の前の道路を走る車の音が聞こえたりする。

先ほど思い出していた夢が象徴するものは一体何だったのだろうか。一つ目の場面で印象的だったのは、上空10,000メートルまで続く橋のような煙である。

あの煙のうねった姿がとても印象に残っている。あの煙はうねりながら空に向かって上昇していた。あたかも滝が逆に流れるかのような勢いで、しかもそれは螺旋を描きながら天高く向かっていた。

ここでふと、それはヨガの伝統で言うところの身体エネルギーの上昇過程に似ていると思った。螺旋を描きながら、うねるようにして立ち昇って行くエネルギーの様子と、夢の中の煙がうねりながら天高く上昇している姿が重なった。

一方で、最初は真っ白な煙であったものが、最後には灰色の煙になったことについても考えてみる必要がある。最初の真っ白な煙はもしかすると、身体エネルギーの上昇過程の最後に待つ白い光の状態を暗示しているように思える。

実際に、天空にほど近いところにある煙は白い光の筋のように見えていたことを覚えている。そのような特徴を持つ煙も、友人からの一言を境目に突然灰色になっていってしまった。

工場の煙であるものを煙ではないと認識していた時には、それが雲のようなものに思われ、その先に白い光の束が見えた。だが、友人が「あれは工場の煙だ」と述べたことをもってして、突然に色が変わり始めた。

なぜ色が変わってしまったのだろうか?それは一つには私の認識が変化したからだろう。また、そうした認識の変化を起こした友人の存在にも注目する必要がある。

夢の中にいた友人を非難するわけではないが、彼のあの発言がなければ、あれは白い光のままに天に到達していたように思う。昨夜考えていたように、もしかすると友人と雑談をしていたことは、「外部との無駄な接触」に該当するものだったのだろうか。

認識を曇らせることなく、自分の眼で対象ととことん向き合うこと。それを示唆する内容の夢だったのかもしれない。

それでは二つ目の夢の場面はどうだろか。二つ目の夢の場面もとても印象に残っている。暗い洞窟の先に待っていた、底の見えない巨大な穴。その穴の途中からは濃く深い水の世界が待っていて、そこに向かっていこうとする自分がいた。

夢の中の世界にあるさらに深い世界。無意識の中のさらに深層的な意識世界。

実際のところ私は、水に向かって飛び込み、名前の知らない相方の背中を追いながら泳いでいた。視界に入るのはその人物の背中しかなく、あとは全く何も見えない水の世界だけがそこに広がっていた。

星のない宇宙空間を漂う感じだと表現すればわかりやすいだろうか。光は一切なく、ある人間の背中だけが見える。

しかもその人物が来ている防水ジャケットに刻まれた英語の文字だけが浮き上がって見えてくるかのようであった。「信頼して私に付いてきて」という意味の文字は、最初は認知的に理解することができる。

だが奇妙なことに、水の中を泳げば泳ぐほどに、その文字は認知的に解釈できない別の意味を帯び始めていた。より正確には、そこにはもはや私たちが意味だと思っているような意味はなく、直接的なある感覚だけがそこに存在していた。

相方の防水ジャケットに刻まれた文字が一つのマントラのように私の感覚に働きかけていた。意味を生成する認知能力を働かせることをやめ、より原始的な直接感覚だけを働かせながら私は水の中を泳いでいた。

そもそも深い水の世界を泳いでいくことが「アトラクション」とみなされていたことも興味深い。しかも、このアトラクションに参加したいと望む人が数多くいたことには驚かされる。

だが仮にこのアトラクションが人間の無意識のさらに深い階層を探求することを目的にしているのであれば、多くの人たちが関心を寄せる理由というものがなんとなくわかってくる。

また、穴の前に立っていた係員が述べるように、このアトラクションに参加することは無料かつ自由だが、ひとたび相方の背中を見失ったら、水の世界から逃れられないことを意味していた。

宇宙空間のような水の中を永遠と泳ぎまわり、のたれ死ぬということがこのアトラクションで起こりうることであり、直感的に私は、参加者のほぼ全ての人がこの結末を迎えることに気づいていた。

それでも私はこのアトラクションに参加しようと思ったのはなぜなのだろうか?しかも、穴に飛び込む前に不気味に微笑んでいた自分がいたのはなぜだろうか。

このアトラクションの主題である「信頼と裏切り」ということ以上に、私はこのアトラクションの隠れた主題を見出しているようだった。それはもしかすると、「死への憧憬」というものだったのかもしれない。

より厳密には、このアトラクションには永遠に至る道と永遠の中で死ぬ道の二つが用意されており、それはどちらも共に不確かな形で自分の眼の前に提示されていた。

どちらであっても、そこに「永遠」というものが関係していることがわかる。もしかすると私は、死に対して惹きつけられるものを感じていたのではなく、その死の向こう側にある永遠なるものに惹きつけられていたのかもしれない。

そう考えてみると、このアトラクションの参加者のほぼ全てが永遠に水の中で泳ぎまわり、のたれ死ぬことを知っていながらも、何のためらいもなく穴の中へと飛び込んでいった気持ちがわかってくる。

天への上昇、螺旋状のエネルギーと白い光、無意識の世界のさらに奥に広がる深層世界、信頼と裏切りという人間の不可避的側面、死と永遠、そのような主題が浮き彫りになるような夢だった。

夢について書き留めてみると、この夢は私が思っていたよりもずっと深い意味を持っていたことに気づかされた。明るみになった主題について今後も考えていくことになるだろうが、同時に夢を書き留めることを今後も継続させていきたいと改めて思う。フローニンゲン:2018/5/24(木)07:58

No.1033: The Season of Fresh Greenery

To compose music seemed to become my daily practice in the early morning.

Groningen in this season is shining with green leaves. Groningen, 07:47, Wednesday, 6/27/2018

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