
今朝は五時半前に起床し、六時手前から一日の活動を開始した。昨日天井の電球を交換したためか、書斎の明るさが増したように思う。
特に今朝のように曇りがちな日において、電球はなお一層部屋を明るくしている。電球が交換されて部屋全体を明るくすることは可能だが、なるべく自然の光を活用しようと思う。明るくするのは手元だけで十分かもしれない。
今朝は一切風がなく、世界がピタリと止まってしまったかのようだ。だが、時折聞こえてくる小鳥たちの鳴き声は、この世界が確かに動いていることを知らせてくれる。
どこからともなく聞こえてくる小鳥たちの鳴き声に耳を傾けながら、一日の活動の開始に向けて心身の準備を進めていきたいと思う。
あいにく今は曇り空であるが、これから少しずつ晴れ間が見えるらしい。午前中の早い段階で雲はなくなり、快晴になるようだ。
そうした天気の中、午後からは街の役所に行って、欧州での三年目の滞在の手続きについて話を伺いに行こうと思う。その帰り道に行きつけのチーズ屋に立ち寄り、いつものチーズとナッツ類を購入する。
それ以外の時間は全て自分の探究活動に時間を充てたい。具体的には、今日は午前中から“Voice Leading: The Science Behind a Musical Art (2016)”と“Ancient Greek Music (1992)”を読み始める。
今日は特に前者を一読することにし、後者に関しては中身をざっと確認するような読み方をしたい。後者についてはまた後日全体の一読を行う。
これらの二冊は全て音楽関係のものであり、それ以外には小林秀雄全集を引き続き読み進めていく。今日は『本居宣長』の巻から読み進めていく。
こうした読書の合間合間に文章を書き、それに並行して作曲実践を行っていく。昨日にふと、自分が生きた日数だけ曲を作りたいという思いが湧き上がった。
少なくとも一日一曲作っていく。その日自分という人間が様々なことを感じ、様々なことを考えながら確かに生きていたということ。それを形として残しておくために曲を作りたい。
曲を作ることは、他者に聞いてもらうというよりも、そして自分で聞くというよりも、自らがこの世界で生きていたことを形として残しておきたいというだけの純粋な思いからなされていることに気づく。
日々の日記が自身の存在記であるのと同じように、毎日作られる曲も存在記なのだ。世界のどこで何をしていようと、日記と作曲を毎日行うことが自分の人生を生きることになった。完全にそうなった。
文章の技術および作曲の技術を着実に高めていくこと。それを通じて人生そのものを深め、この世界への深い関与を実現させていくこと。
その実現に向けて今日という一日がある。無風の世界の中に小さく流れる風のように今日を生きたいと思う。フローニンゲン:2018/5/23(水)06:13