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2597. 魂の形象化能力


どうやら今日は雨が降らないらしい。早朝に確認した天気予報では午後から少しばかり小雨が降るようだったが、先ほど天気予報を改めて確認すると、今日は一日中晴れのようだ。

晴れと言っても薄い雲が所々に空に浮かんでおり、日差しはそれほど強くない。爽やかな風が吹いているため、外は幾分肌寒く感じる。

午後から天気がもつのであるから、午後三時あたりに街の役所に足を運び、欧州でもう一年滞在するための手続きについて確認してこようと思う。これを明日にするのではなく今日行う。

早朝に聞こえていた小鳥の美しいさえずりが今は聞こえない。どうやら近所で工事をしているらしい。自分の魂が小刻みに踊りだすかのような、あの美しいさえずりがまた聞こえてくることを望む。

量子論の思想に対する関心が少しばかり増す。自然現象に非連続性があるのと同様に、人間の心的な発達現象にも非連続性があることがわかっている。この点については一昨年何本かの論文を読んでいたが、改めて発達の非連続性について思いを馳せる。

物質世界における量子のような存在に対応するものが心的世界にもあるのだろうか。発達の非連続性を考えると、そうしたものが存在するのかもしれない。であればそれは何と呼ぶことができるのか。

すでに研究がなされているのであれば、それは何と呼ばれているのだろうか。そのようなことに関心を持つ。

物理量の最小単位が量子であるならば、精神量の最小単位は何なのだろうか。関心は尽きない。

今朝方、過去の日記を読み返していると、再度その日記で取り上げていたテーマについて考えが及んだ。それは「形を求める魂」というテーマだ。

自然言語を用いて日記を書くことにせよ、音楽言語を用いて曲を作ることにせよ、そこには何か魂の形象化能力が密接に関係しているように思えてくる。では、形になろうとする魂は何を求めているのだろうか。

魂はどこまで行っても一つの究極的な形になりえない。それは無数の形となって外側に出てこようとするが、その試みに終わりはない。

そうした終わりのない試みに従事しようとする魂には、やはり何かしらの強烈な動機もしくは作用因のようなものがありそうだ。魂は一体何を望んで形になろうとするのだろうか。

小さな自我から私たちを救い出そうとする親切心か、あるいは魂自身が何かから自由になろうとするためか、はたまた永遠なるものとの合一を果たそうとするためか。

今の私にはそれらの説明では納得できないものが内側にある。もっと手応えのある言葉を求めようとする自分の魂がそこにある。

おそらくこうした手応えのある言葉を求めようとすることそのものが、魂からの要求であり、そこに魂の特質が隠れているように思えてくる。この点については本当に未知なことが山積みにされている。

この主題は、私が創造活動を続けていく上で非常に大切なものになると直感している。ゆえに、この主題については今後何度も取り扱うことになるだろう。それでいいのである。

同じ主題を何度も取り扱うことによって初めて、その主題の奥底にあるものが見えてくる。また、主題そのものがより発展していくことにつながっていく。

とにかく自分の内側の感覚に合致した考えを書くことによって、この主題を深めていきたい。フローニンゲン:2018/5/22(火)12:12

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