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2594. 修練の開始に向けて


今日も一日が終わりに差し掛かっている。今日という一日が充実していたと言う必要のないほどにどこか満たされたものを感じている。

欧州での私の日々はこのようにして、一日一日がある満たされた感情が凝固した時間の中で過ぎていく。こうした日々はいつまで続くのだろうかという思いと、こうした日々を永遠に続けていきたいという思いが交差する。

自分が理想とする創造活動の実現に向けて絶えず準備を積み重ねていく。とにかく今の私は準備の時期にいるということを忘れてはならない。

絶えず豊かな経験を積み、絶えず自分なりにその経験を咀嚼していく。自分の中で真に仕事と呼べるものを開始することができるのは、人生においてもっとずっと後のことである。

今はとにかく準備の時期だ。この準備の時期を上述のような満たされた時間感覚の中で過ごしていくことが大切になる。

時刻は夜の九時半に近づきつつある。フローニンゲンの日は随分と伸び、昨日は十時になってもまだ完全に日が沈んでいなかった。

鮮やかな夕日が西の空に沈んでいくのが見える。私はこの時間帯の空の雰囲気が好きだ。

日中の晴れ渡る空は、どこか自分の存在を明るく照らし、「全て良し」と言わんばかりの感覚をもたらしてくれる。一方で、この時間帯の空は、静かに空全体の中に溶け込んでいくことを促してくれる。

言い換えると、空に全てを委ね、暮れ行く空と一体となるような感覚がするのである。今目の前に広がっているのはそのような空だ。

二羽の鳥がその空を舞う。彼らもまた空に手招きされ、空と溶け合うことに喜びを見出しているのかもしれない。

今日は午後から論文の加筆修正をした。無事に全ての加筆修正が済み、夕食後に論文アドバイザーのミヒャエル・ツショル教授にそのドラフトを送った。

ツショル教授からどのようなフィードバックが返ってくるかはまだわからないが、とりあえず現在のプログラムを六月末のロンドンの学会の前に終わらせる旨を伝えた。つまり論文の提出は六月の半ばあたりとなる。

いよいよフローニンゲン大学での二年間の学術生活も終わりに近づいてきている。この二年間の振り返りは今後も折りを見て行っていくだろう。

成人になって二度目の留学生活は、一度目の留学生活とは全く異なる意味で充実したものだった。どちらの留学も私の人生を変え、人生そのものを深めてくれたことは間違い無い。

欧州で迎える三年目は、フローニンゲン大学に所属していた時を遥かに凌ぐような形で勉強をする。文字通り、「勉強」をする。

私はまだ何も学んでいない。大袈裟に言うのでも何でもなく、私の学びは圧倒的に不足している。

学びがどれほど不足しているかについて説明する必要などないほどである。日々自分が読み進めている先人が残した書物や論文を見れば、現在の自分がどれほど不勉強であるかが一目瞭然である。

ここからの一年間は、一心不乱に勉強をする。そうした勉強をしなければ人生を終えることができないというよりもむしろ、自分の人生を始めることすらできない。

まだ自分は何も始めていないし、何も学んでいない。何かを始めるための徹底的な修練を必要としている段階にいるのが今の自分だ。フローニンゲン:2018/5/21(月)21:35

No.1031: Minuet on a Grassland

The end of my London trip is now approaching. This trip looked like as if I enjoyed a minuet on a grassland.

I’ll be back to Groningen in the evening, and I’ll devote myself to my creative activities more than before. London, 07:47, Monday, 6/25/2018

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