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2581. 偽の成人

June 22, 2018

今日は一日を通じて気温が低かった。室内にいても肌寒く、午前中には暖房をつける必要があった。

 

今の時間帯も就寝に向けて少しばかり暖房をつけている。今日は午後の早い段階でシュタイナーの書籍を読み終わり、夕食後からは美学に関する書籍を読み始めた。

 

気づかぬ間に夜の九時に近づいてきており、今日は結局過去の日記の編集に一切を手をつけることがなかった。シュタイナーの書籍を読んでいると、一つ大変興味深い指摘を見つけた。

 

それはシュタイナーが、自己の誕生をもってして成人期の始まりと述べていたことだ。 自己が確立された現代人がどれだけいるかを考えてみたとき、真の成人と呼べる人間はこの世界に少ないことを知る。

 

また、仮に自己を確立し、確立した自己を通じて人間らしく生きることをもってして成人と呼ぶのであれば、そうした人間はなおさら少ないだろう。真に「人と成っている」人間はこの世界にほとんどおらず、未だ人類の多くは成人期前にいるのではないかと思わされた。

 

シュタイナーの書籍を読み終えた後、美学の書籍を読み始めた。これも先日にフローニンゲンの街の古書店で購入したものだ。

 

この書籍を読んでいると、意識の形而上学的な事柄を表立って学術機関で探究する道はなくはないということに気づいた。神学の領域でそうしたものが扱われるのは不思議ではないし、美学の領域でそれを扱うことも可能であると思った。

 

美とは何か?という主題を考えていくと、どうしても形而上学的な問題とぶつかる。また美的経験の性質を突き詰めていけば、シュタイナーの思想体系で語られているような超越的な意識の特性と関係してくる。

 

私たちの意識が持つそうした超越的な側面を学術機関の中で探究していく際に、それを美学の範疇で行うことは可能であり、そうした形で美学と意識の形而上学の双方を探究していきたいと思った。少しずつだがまた新たな道が開かれていることを実感する。

 

そういえば今日の日記の中で書き留めていたように、魂には普遍的な大通りと個別的な小道の双方があるのであれば、二つの道を迷わず歩み続けていきたいと思う。日々の自分の歩みは、それら二つの道の上にあったのだ。

 

またそうした日々の歩みは小道を遥かな彼方の場所にまでつなげていくことを可能にし、いつか小道が大通りに完全につながる、あるいは大通りに還っていくという現象が起こるのではないかと思う。

 

時刻は九時を回った。今日はこれから数十分ほど過去の日記を編集し、“Humanity”に関するドキュメンタリー番組の続きを見てから就寝しようと思う。フローニンゲン:2018/5/18(金)21:03

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