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2576. 白い光


今朝は室内にいてもとても寒い。六時前に目覚めた時、寝室の気温が随分低くなっていることに気づいた。その足で書斎に向かってみると、書斎の気温も全く同じであった。

ここしばらく暖かい日が続いていたのだが、その反動で気温が下がってしまったのかもしれない。五月も半ばを迎えたにもかかわらず、今朝は書斎の暖房をつけることにした。

今日は昼食前にランニングに出かける予定であり、その時は少し暖かい格好をして出かける必要がありそうだ。

昨日よりも今日は雲が多い。薄い雲が空全体を覆っている。

七時に近づきつつある現在において、太陽の光は一切降り注いでいない。太陽の光が遮断され、曇った日に固有の色彩と感覚を持つ世界が広がっている。

目の前に広がる世界の色について考えていた時、昨夜の就寝前の体験を思い出した。昨夜は久しぶりに、白い光を知覚する体験に見舞われた。

就寝時にはいつも非形式的な瞑想をしながら就寝に向かって行く習慣がある。自分の意識がグロスからサトルに移行した時に、その白い光がやってきた。それは一瞬の出来事であったが、脳内に光が通った痕跡が確かに残っていた。

意識と脳の双方の観点からこの光について説明することは可能だと思うが、ここではそのような説明を加えることをしない。それよりも、知覚された光を何らかの形にしていくことに強い関心がある。

光を知覚した体験を曲の中で表現することはできないだろうか。それは私にとって最大の関心事項の一つである。

様々な曲を聴いて気づくが、光が具現化されたものがこの世界にはいくつも存在する。それらのうち、自分が知覚した白い光と同様のものがどれだけあるのかはわからないが、ここから意識的に曲を聴いていけばそれらが特定されていくだろう。

また、そうした曲を聴くことによって、光を曲として表現する方法についても少しずつ見えてくるに違いない。そんな期待を寄せている。

光が具現化された音楽を聴き、光の具現化方法を掴んでいく。当面はそれを意識していこう。

心眼をより鍛錬していく必要がある。そのようなことを最近よく思うようになった。

肉眼ではなく、まずは心眼を鍛錬していく。魂眼が開かれるためには、まずは心眼の開発が不可欠になる。

音楽を聴き、絵画作品を見る過程の中で、何をどのようにすれば自らの心眼がより涵養されていくのかを試行錯誤していこうと思う。これは昨夜の日記に書き留めていたように、芸術的感性の開発とも密接に繋がっている話だ。

とりわけ成人期を迎えてから、私たちはどのようにして心眼や芸術的感性を開発していくことができるのだろうか。また、それを行う個人としての意義と社会的な意義は何なのだろうか。このあたりについての考えを深めていく。

今日は午前中からシュタイナーの書籍を読み、午後からは美学に関する書籍を読む。それらの書籍を読むことは、成人の芸術的感性の発達という現象を探究する上での確かな一歩になる。フローニンゲン:2018/5/18(金)07:03

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